よろしく醒覚すべし

寺報『信友』227号の巻頭「よろしく醒覚すべし」を転載いたします。
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七月の施餓鬼法要のご報告をしたばかりのような気がしておりましたが、もう秋のお彼岸のご案内の時期になり、慌てて筆を執っております。遅くなり、申し訳ありません。

年齢のせいなのか、最近、時間が経つのがあっという間。恥ずかしながら、「ああ、何もしないまま今日が終わってしまう……」なんていう日もあります。小さい頃は、一日が長く感じられたのですが、親はこんなに短く感じていたのですね。

子供と大人の時間の感じ方が違うのは当たり前といえば、当たり前。生後三か月の息子を見ていて思うのは、この子の人生にとって今日は九十分の一日、ひるがえって四十五歳の私にとっては一万六千四百二十五分の一日。密度も鮮度も違う。早く感じるわけです。

だからといって、大人の私は無為に過ごして良い、というわけではありません。今日という日は私にとっても息子にとっても一分の一日でもあります。

修行道場の朝は、次の警覚偈(きょうかくげ)というお唱えから始まります。

敬白大衆
生死事大
無常迅速
各宜醒覚
慎勿放逸

目覚まし当番の修行僧が、
「敬って大衆に白(もう)す、生死事大(しょうじじだい)、無常迅速、おのおのよろしく醒覚(せいかく)すべし、慎んで放逸することなかれーーー!」
と大きな声で唱えて、柱から吊るされた分厚い木の板を打ち鳴らし、みんなを起こすのです(板にはこの偈文が書かれています)。

二十数年前のもっと寝ていたい私は、この言葉の意味を噛みしめる余裕はなく、ただの苦痛な思い出しかなかったのですが、時間の早さに怖さすら感じるようになると、ぐっと味わえるようになってきました。

「謹んで、みなさんに申し上げます。いかに生き、いかに死を迎えるかは人生の大問題。時間はまたたくまに過ぎ去ってしまいます。
しっかり目を覚ましましょう。無駄に時を過ごすようなことのないように。」

いやぁ、良いことを言っていますね。自分で書いていて、耳が痛くなってきました(笑)

でも、見方をかえれば、毎朝こう言い聞かせないと、怠けてしまうのが人間なんですよね。だから、「このように生きるようにしましょうね」という目標を仏さまが設定してくれているのです。目標があることで、そうできない自分に気づくこともできます。

真面目に考えすぎて、ストレスで寿命を縮めてもいけません。放逸してしまった時には、「今日は無駄に過ごしてしまいましたが、明日は目を覚まして生きます」と気持ちを切り替えれば良いでしょう。

今日という日は、あなたにとって大切な誰かが生きたかった一日でもあります。私の父も母も、今日を生きたかったかもしれません。

亡き人たちの思いを引き継ぎながら、しっかり目を覚まして生きていきましょう。

話すことの効能

寺報『信友』226号の巻頭「話すことの効能」を転載いたします。
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母を見送って4ヶ月、荷物の整理やら手続きやら、まだまだやらなければならないことが山積みで、人を送ることの大変さを実感しています。檀信徒のみなさんもこのような苦労をされながら、四十九日や一周忌を迎えられたのだなあと思う今日この頃。

「あんなに明るいお母さまが亡くなられて、お寂しいでしょう」と気にかけていただくのですが、今は、悲しさや苦しさをほとんど感じることなく過ごすことができています。「自分は薄情な人間だったのかな?」と思うほど。

2021年1月に悪性リンパ腫が再発した時点で、ある程度の覚悟をして1年間過ごしたということもプラスに作用しているでしょう。それとともにありがたかったのは、コロナで制限された中でも、親交のあった檀信徒のみなさまにお別れをしていただき、お話をできたこと。

亡くなってから葬儀までの十日間で六十人近い弔問をいただきました。抗がん剤の闘病から在宅介護、看取りにいたるまでの話を何回話したか分かりません。ご弔問の方からは、「何度も同じ話をされているでしょうに、悪いですね」と気遣っていただくことも。しかし、私の話を何人もの方に聞いていただいたおかげで、今、平穏に過ごせているのです。

みなさんに話しながら、そして、慰めの言葉をかけていただきながら、自分のなかで、母の人生と別れを消化していったように思います。闘病は大変だったけれど、母はいい人生だった、私たち家族もできる限りのことはやってあげられたのだと。

誰にも話さず、心に仕舞い込んだままでいるより、誰かに話した方が心は楽になるもの。誰かに話すことで、つらさは半分に、愛しさは倍になるなんてことも言われます。法事や葬儀の後の会食の大きな意義は、亡き人の思い出を語り合うことにあるのだなと再認識する機会にもなりました。早くコロナを気にせずに、会食ができる社会になりますことを祈るばかりです。

普段は僧侶として、死別間もない檀信徒のみなさまを支えているつもりでいましたが、今回の母の逝去では、檀信徒のみなさまに支えていただきました。あらためて御礼申し上げます。この経験を糧として、今後もみなさまと支え、支えられての関係を築いていければ幸いです。

また会いましょう

寺報『信友』225号の巻頭「また会いましょう」を転載いたします。

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このたび、母・小川貞子(ていこ)の逝去に際して、多くの方にご弔問、供花・ご芳志を頂戴し、誠にありがたく、心より御礼申し上げます。2月16日に近親者にて葬儀を済ますことができました。

母について思いつくままに記してみたいと思います。

母は1938(昭和13)年10月11日、日本橋蛎殻町で9人兄弟の六女として生まれました。下町育ちらしい、快闊で誰とでも打ち解ける性格で、その性格は住職夫人として大いに活かされ、多くの檀家さんの方々と寺檀関係を超えた、心の交流をしていたように思います。情に厚く、檀家さんの訃報があれば涙を流し、枕経や通夜への同行や、個人としての香典を私に託すことも多々ございました。

スポーツなどは全くしない人でしたが、80歳になるまで、ほとんど病気らしい病気をしたことはなく、自転車でずいぶん遠くのスーパーまで買い物に行っていました。自転車といえば、彼岸法要や施餓鬼法要の後には、荷台に数十本の塔婆をくくりつけ、多磨霊園中を立てに回っていました。私が車で運ぶようになってからも、80歳手前まで、私の目を盗んでは出動していました。

1972(昭和47)年に父と結婚するのですが、先々代の住職夫妻は明治生まれで、現代のような優しい舅・姑ではなく、一般家庭から嫁に来た母は寺のしきたりに大変な苦労をしたようです。亡くなる寸前まで、その苦労を語っていましたし、古い檀家さんも「お嫁さんがやつれていてかわいそうだった」とおっしゃりますので、相当な忍耐を強いられたことでしょう。そんな苦労のなかでも、姉と私には常に慈しみ深く、懸命に育ててくれたことは感謝してもしきれません。

父は母がいないと全くダメな人でした。お互いに下町生まれでしたので、よく口喧嘩はしていましたが、落語に出てくるような微笑ましいものでした。喧嘩をしていても、常に父の側にいて、父のわがままをきいてあげる良妻であったと思います。

そんな父を87歳で看取ったのが2015年12月、母は77歳でした。翌年に私も結婚。これまで寺のため、父のため、子のために人生を費やしていた母にも、やっと自由気ままな後半生がやってきたように思いました。姉が年に数回は旅行に連れ出し、大好きなジュリーのコンサートにも気兼ねなく足を運んでいました。

しかし、2018年春、肺がんと悪性リンパ腫が判明。肺がんは手術で無事に寛解、悪性リンパ腫も経過観察ということになりましたが、2020年に入り、悪性リンパ腫が悪化し、数か月のうちに体重が10キロ以上も減少してしまいました。

2020年7月から抗がん剤治療を開始。ここからは、入院治療、自宅療養、そして再発ということの繰り返しでした。もうトータルで何日入院をしていたのか、数えられないほどの日数を病院で過ごしました。抗がん剤の体への負担はもちろんですが、コロナ禍で面会禁止の入院はどれだけ母に寂しさ、心細さを与えただろうかとコロナが憎らしく思えてきます。

2021年9月末からは新薬の抗がん剤にチャレンジするも、副作用が激しく、40度の高熱が数日続く中で、母は主治医に涙ながらに退院を訴えていました。主治医もこれ以上の入院治療は心身共にマイナスが大きいと判断し、10月下旬から在宅緩和ケアに移行しました。

退院当初は歩行もままならず、私たちもこれは年を越せないだろうと諦めの心境でいましたが、家に帰ってきた安心感や孫とのひとつ屋根の下での生活の楽しさが奏功したのか、次第に体力を回復し、一人で入浴ができるまでになりました。11月下旬には、両親の墓参のために信州に一泊旅行、さらに今年の1月7日には国際フォーラムでのジュリーのコンサートにも行けました。

まだまだ元気でいられると楽観していた矢先の1月17日から、発熱が続くようになります。投薬をしてもなかなかおさまらず、訪問医の診立ては「悪性リンパ腫の再発」、「早くて1か月、長くて2か月」でした。一番恐れていた事態になりましたが、長期入院の影響で若干の認知症になっていた母が、自分が重篤な病であることを忘れていたのが、家族には救いでした。死期が迫っている悲壮感はなく、食事量が減り、ただ「眠い」「くたびれた」と言って、横になる時間が増えていきました。

2月4日の午前、お手洗いに行くと下血が確認され、訪問医の緊急診療を受けると、「おそらく解熱剤の副作用による胃潰瘍」とのこと。医師からは、「病院に行き、処置をすれば治る可能性はあるが、再び面会禁止の入院になるし、もう家に帰ってこられない可能性もある。そもそもの体力の低下があるので処置が成功したとしてどれだけ生きられるか保証はできない。処置をしなければ、あと2、3日だろう」と説明を受け、私たちは在宅で看続けることを選択しました。あれほど退院を切望していた母を再び入院させることは、とても酷なことに思えました。

4日の夜、私が1歳半の娘を寝かしつける前に母のベッドサイドに連れていくと、母は「バイバイね」と娘に手を振りました。しっかり意識があるから、まだ大丈夫だと思っていたのですが、それから5時間後の翌5日午前1時半に息を引き取りました。寝たきりになって半日足らず。本当にあっという間の旅立ち、せっかちな母らしいものでした。

そして、「ああ、自分の思った通りに逝ったな」と思いました。母は入院中、「病院はトイレに一人で行かせてくれないのよ」とずっと不満を言っていました。「自分の足で歩いてトイレに行く。下の世話を他人にされるなんて真っ平御免」これが母の譲れない尊厳でした。在宅緩和ケアに移行した当初、トイレに行くにも足元のおぼつかない母に手を貸そうとすると、「大丈夫だから!」と杖で払いのけられたことが思い出されます。4日の午前中まで自力でなんとかトイレに行くことができましたが、午後からは体を起こすことも困難になっていきました。きっと、これから2、3日、オムツになって子供たちのお世話になるなんて私は絶対にイヤよと思っていたはずです。姉と私と妻の三人に看取られながら、母は自分の意志を貫いて旅立ちました。

せめて父の壽命の87歳までは生きて欲しいと願っていましたし、なんで苦労した母がこんな厄介な病気になってしまったのかと運命を恨んでしまうこともありました。ただ、今は、不思議と心残りなく、穏やかな心でいられています。母自身が病気という運命を受け入れ、頑張り切ったのだと思えるからでしょう。母が生き方と逝き方を身をもって教えてくれたような気がしています。

父が亡くなった時には「親父、あなたは幸せ者だったよ」と思いましたが、母が亡くなった今は「母ちゃん、俺は幸せ者だったよ」と思います。偉大な母に感謝の念を捧げます。

母の荷物を整理していましたら、友人への手紙の下書きが見つかりました。父の遺品の万年筆で書いたもので、乱れた字になっていますが、みなさんへのメッセージにも思えて、写真を掲載いたします。

「又いつかゆっくりお話が出来ることを楽しみにしております」

今頃、父をはじめ先に旅立った人たちと再会を果たしていることでしょう。私もいつかゆっくり話ができることを楽しみにしたいと思います。

サンタ菩薩がやってくる

寺報『信友』224号の巻頭「サンタ菩薩がやってくる」を転載いたします。

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今年も残すところ一か月となってまいりました。第6波が危惧されていますが、今年こそは忘年会で杯を上げたい方も多いことでしょう。私もその一人ですので、現在の状況が維持されることを願うばかりです。

さて、年末を迎えるにあたり、妻がある相談をしてきました。娘のためにクリスマスツリーを買ってもいいかと。

「えええっ?」

私の心は動揺を隠せません。なにせ、私の人生の中に、家にクリスマスツリーがあるなんていう経験がありません。祖父は、一般家庭から仏門に入った厳格な僧侶でしたので、クリスマスの「ク」の字でも聞いたら怒る人でした。ドリフターズのクリスマス特番を、テレビの音量を小さくして、ビクビクしながら姉と見ていたものです。なので、クリスマスプレゼントをもらったことも、サンタの存在を信じたこともなく育っている私。

妻も臨済宗の寺の娘なので、てっきり同じ境遇で育ったのかと思いきや、ちゃんとツリーを飾り、サンタさんに手紙を書いて、起きたら枕元にプレゼントがある幼少期だったとのこと。

「へー、お寺でもそんなことするんだ!」と驚嘆する私でしたが、夫婦の会話を聞いていた姉が、「私もそうだったよ」とさらに驚きの一言。

この姉弟の違いは、なぜ生じたのでしょう?

姉が生まれた当時、両親は日野市に居を構えて、祖父と離れた生活をしていました。そこでは一般家庭と同じく、クリスマスが存在していました。姉が四歳の時、私が生まれる直前に寺での祖父母との同居、つまりクリスマスが存在しない生活が始まります。

クリスマスの味を知ってしまっていた姉は、本棚の中に小さいクリスマスツリーを飾り、布でカーテンを作り、ツリーを隠していました。不憫に思った両親も、プレゼントをあげていたみたいです。姉曰く、それはまるで「隠れキリシタン」だったとか。

私自身は、クリスマスがある家庭をうらやましいと思ったこともないですし、疎外感を持ったこともありません。娘にクリスマスはマヤカシだよと教え育ててもいいかなと思っていましたが、「そんなのかわいそう」と断固反対の妻と姉。クリスマスの味を知っている二人からすると、知らない私は「かわいそう」なようです。(姉は、途中で方針転換をされる方が、もっとかわいそうと言っていますが。)

まあ、もはやキリスト教徒以外には、宗教色のほとんどない年中行事となっているクリスマスに、祖父のように目くじらを立てることもないなと思います。妻と姉のように楽しい思い出として語れるのなら、娘にクリスマスを味わってもらうのも悪くありません。

ある僧侶の友人が、「サンタさんは世界中の子供たちを笑顔にするために汗を流す菩薩さまなんですよ」と言っていたことを思い出します。人々の苦を取り除き、楽を与えるのが菩薩さま。たしかに、サンタさんはサンタ菩薩と言っても良いかもしれませんね。

コロナで我慢を強いられた子供たちに、今年もサンタ菩薩が笑顔を届けてくれることを願いつつ、わが家も初のクリスマスツリーを迎えることになりそうです。

人のふり見て

寺報『信友』223号の巻頭「人のふり見て」を転載いたします。

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前号で母の悪性リンパ腫のことを書きましたら、多くの方にお見舞いのお言葉をいただきました。心より感謝申し上げます。

ジュリーのライブで興奮したせいか、リンパがまた動き出しまして、現在、再々発の治療中です。どうも完治しにくいタイプのようなので、これを繰り返していくしかありません。家族一同、そんなに落ち込んではおりません。その点はご安心ください。

何度となく通院、入院に付き添っていて痛感するのは、伝え方の大切さです。

主治医から治療方針の説明を受ける際、こんなことがありました。

主治医のかたわらでメモを取る若い研修医。そのメモは治療同意書というもので、説明後にサインを求められ、控えを渡されます。

入院の手持ち無沙汰に、控えを読み返して、ビックリする母。そこには、「薬が効く確率は20パーセント」と書かれていました。ほとんど治る見込みがないのかと落胆するのも無理もありません。

実際の説明は、「新薬も試してみたいところだけれど、効く確率が20パーセントしかないので、今回は前回と同じ薬にしましょう」でした。耳が遠くなっている母には、主治医の説明が半分くらいしか聞こえておらず、メモを見て卒倒寸前だったのです。

「もっと丁寧にメモしてもらえないものかね」、「医学だけじゃなく国語も勉強してほしいよね」と愚痴をこぼす文系一家の我が家。しかし、同じことは僧侶にも言えるのかもしれません。

医師と患者、僧侶と檀家。どちらも、専門知識(医学・仏教)と特殊技能(手術・儀式)を持つ側が優位に立ち、不安や切実な願いを抱えた人に接するのです。なかなか医師に直接不満を言えないように、私も不満を言われにくい立場にいることを自覚しなければいけません。

「あの人は成仏できているのでしょうか」から、「四十九日には何をお持ちすれば良いでしょうか」まで、私はしっかりお答えできているでしょうか。医師のふり見て我がふり直せと気を引き締めた夏でした。

母はといえば、病室に来る看護師さんたちに例のメモを見せては、「あなた、これどう思う?」と憤懣やるかたない思いをぶつけていたら、若い研修医が毎日顔を出すようになったそうです。患者も言うべきことは言う、それが医師を育てるのかもしれません。患者からの伝え方も大事なんですね。

人生のいろどり

寺報『信友』222号の巻頭「人生のいろどり」を転載いたします。

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5月28日、東京駅からほど近い巨大な建物の前には、検温を待つ高齢者たちの長蛇の列。さて、ここはどこうでしょうか?

大手町の大規模接種会場と思った方。あなたは常識人です。しかし、答えは残念ながらハズレ。

正解は、東京国際フォーラム。沢田研二のコンサート前の様子でした。「こんな時期に?」と思う方がほとんどでしょう。でも、やったのです。

そして、そのコンサートに、82になるジュリーファンの母を送迎してきました。医療従事者の方や自粛生活を徹底している方には申し訳ないのですが、これには訳がありまして……。

実は昨年の春、母が悪性リンパ腫を発症しました。3年前から悪性リンパ腫の疑いがあり、経過観察を続けてきましたが、2月頃より、急激に食欲が低下。50キロ以上あった体重が、数ヶ月で36キロまでに減少します。各種の検査の結果、ステージは4。このままではダメだということで、6月から抗がん剤治療のスタートとなりました。

抗がん剤の投与のために5日間入院、自宅で3週間療養。これを6回繰り返します。副作用は当然あります。なかでも大変だったのは貧血。抗がん剤が骨髄の造血機能を抑制するらしく、回数を重ねるごとに貧血が悪化。四回目の入院からは、輸血をするほどでした。

5回目の抗がん剤投与を終えると、「6回目をやると骨髄の機能が戻らなくなるかもしれないから、5回目で終了しましょう」と主治医。検査の結果、少しリンパ腫は残っているけれど、部分寛解という診断。いやぁ、良かった良かったと家族一同、胸を撫で下ろして年末年始を迎えられました。

ところが、そうは問屋がおろしません。今年1月の半ば、体温が37度を超える日が2日ほど続くと、一気に39度に。酸素量も80%と危険な数値です。

検査の結果、胸に水が溜まっていることによる発熱と低酸素で、原因は悪性リンパ腫の再発とのこと。即入院・抗がん剤治療です。これには母も家族も相当こたえました。予後不良の可能性が高いと言われていましたが、たった2ヶ月半での再発で、ため息しか出ません。

せっかく生え揃ってきた髪もまたツルツルになってしまいましたが、「孫の記憶に残るまでは頑張って生きなきゃ」と懸命に励まし、なんとか全3回の抗がん剤治療を終了。一定の効果があり、今は月に1回の経過観察に移りました。

そんな矢先に、ジュリーのコンサートが決まったのです。ワクチン未接種の不安はありつつも、闘病のご褒美だとチケットを購入。本人も直前まで渋っていましたが、大満足で帰ってきました。

演劇や映画、コンサートなどのエンターテイメントは、コロナ禍のなかで「不要不急」とされ、不必要なものと扱われてきた一年でした。しかし、少なくとも、いつ再々発するか分からない母にとって、ジュリーのコンサートは、生きる喜びを感じ、明日への意欲を得られる、今しかないひと時でした。

仏教では「欲望」はなるべく小さくするよう説きますが、「意欲」を否定するものではありません。そもそも、意欲がなければ前向きには生きられません。3食昼寝付きでも生涯独房だったら、どうでしょうか。人と出会う、音楽を聴く、旅をする、笑い、泣き、感動する。そんな人生の彩りがあってこそ、生きる意欲がわくのではないでしょうか。

この1年、「あそこに行きたい」、「あの人に会いたい」と願いながら、コロナのために叶わぬまま、亡くなられた方も多いことでしょう。お見舞いのない闘病は苦しく、意欲も減退するでしょう。

本当にコロナが憎らしいですね。僧侶が「憎い」なんて言葉を使うべきではないのですが、がん患者の家族となってみて、ご本人や家族の無念があらためて察せられるのです。

限られた時間のなか、些細なことでも願いを叶えてあげたいと誰しも思うもの。「コロナが無ければ……」という後悔をせずに済むよう、ただただ、一日も早い収束を祈るばかりです。

母からは、みなさんに心配をかけるから『信友』には書くなと言われていましたが、ジュリーに会いに行けるまで回復したらご報告しようと思っておりました。今は大工の棟梁くらいの髪の量、体重も少しずつ戻っておりますので、ご安心ください。

静けさの中に友となる

寺報『信友』221号の巻頭「静けさの中に友となる」を転載いたします。
今回の『信友』には、写真のお線香を同封いたしました。
どうしてお線香を同封したのかを書かせていただきました。

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日本で新型コロナウイルスの感染が確認されて、もう一年が経ちます。東京の感染者が数十人というニュースに慌てていたあの頃に懐かしさすら覚えてしまいます。みなさま、それぞれに辛抱しながら、この一年を頑張ってこられたことでしょう。心よりお見舞いを申し上げます。

一年前の「信友」では、春の彼岸法要をいつも通りの形でご案内をしていました。つまり、みなさんにお寺にお集まりいただき、お弁当をお出しし、住職が法話をして、法要では、みなさんと一緒にお念仏をお唱えするというもの。

しかし、感染が拡大したため、無参集という形に変更せざるをえませんでした。飲食は危険、大勢で声を出すなんてもってのほか。そんなことを専門家から言われてしまうと、お寺の行事は危険がいっぱい。毎回、五、六十人のご参集があったこと、なんて幸せなことだったかと溜息が出てしまいます。

「アクリル板を置いたらお弁当もOKかな?」「マスクをしていれば、ご参集していただいても大丈夫では?」などと考えてはみますが、不安が拭い切れません。やはり、安心して手を合わせていただくのが何よりも大事なこと。まだまだ辛抱と思っております。どうかご理解のほど、お願いいたします。(当日、墓参等で近隣にお越しの際、法要にお立ち寄りいただくのは構いません)

さて、もう一年も信友のみなさまとお会いできていないのだなあと思いまして、何か繋がりを感じていただけるものは無いだろうかと頭をひねってみた私。ひらめいたのが、同封のお線香です。

お寺にお線香は付き物。お仏壇にお線香をお供えしていただき、その香りから、蓮宝寺を思い出していただけたらと淡い期待を込めていますが、実は、お香には、「香の十徳」といって、古くから十の徳があると言われています。

感格鬼神(感性が研ぎ澄まされる)
清浄心身(身も心も清らかにする)
能除汚穢(よく汚れを取り除く)
能覚睡眠(よく眠りを覚ます)
静中成友(静けさの中に友となる)
塵裏愉閑(多忙な中にホッと一息)
多而不厭(多くても邪魔にならず)
寡而為足(少量でも十分に足りる)
久蔵不朽(長期保存して大丈夫)
常用無障(常用しても支障なし)

今回、特に注目したいのは、五番目の「静中成友」。静けさの中に友となる……。なんだか、分かるようで分かりません。どうやら、「孤独感を和らげる」と解釈するようです。静けさというのは、一人ぼっちの状態。そこで友となってくれるのが、お香の良いかおりということなのでしょう。

コロナ禍で会いたい人に会えない。サークルや趣味の集まりにもいけない。お友達とおしゃべりができない。お墓参りにも行けない。そんな寂しさをお線香で少しでも癒していただければ、私も嬉しい限りです。

とても香りのよいお線香ですので、お仏壇に限らず、アロマ代わりにお使いになってもかまいません。コロナに感染すると、鼻が効かなくなると聞きます。「今日もいい香りがするから、感染していなさそうだ」と嗅覚チェックにもお使いください。

本堂にお雛様

娘が生まれたということで、私の母が「お雛様を出してあげましょう」と号令を発しました。お雛様は女の子が生まれるたびに新しいお人形を用意し、子どもの身代わりとして災厄をお人形に受けてもらうというのが本来だそうですが、固いことは抜きにして、姉が誕生した時のお祝いのお雛様を出すことにしました。

四十数年前に母の実家から届いた七段飾りのひな人形も、姉が成長するにつれ、飾られることもなくなり、かれこれ三十年以上、本堂の人目に付かない段ボールの中で眠っていました。 おそるおそる開けてみると、ほとんど傷んでおらず、久しぶりに日の目を浴びて嬉しそうです。

育児という名の修行

寺報『信友』220号の巻頭「育児という名の修行」を転載いたします。
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前号の『信友』で長女の誕生の報告をさせていただきましたら、多くのお祝いのお言葉を頂戴しました。誠にありがたく、感謝申し上げます。

 

おかげさまで健やかに育ち、間もなく4か月目を迎えようとしています。ということは、私も父親になって4か月。体はすっかり43歳のメタボおじさんですが、まだまだヒヨッコ親父。父親修業中です。

いや、「修行」といっても良いかもしれません。実に仏教を学ぶ修行になっています。

仏教を開いたお釈迦様は、29歳で出家をしたのですが、その直前に男の子を授かったと言われています。お釈迦さまがその子につけた名前は、ラーフラ。なんと、障がい、妨げという意味。昔、我が子に「悪魔」と命名して、役所で拒否されたなんてニュースを思い出し、2500年前にも、とんでもない親父がいたものだと驚かれる方もいらっしゃるでしょう。

この名前の由来には諸説ありますが、出家を前にして、子どもに情が移らないように名付けたとか、「乗り越えなければいけない障がいができた」と名付けたという説があります。

家族を捨て、悟りを目指そうと決意したお釈迦様にとっても、我が子はやはりかわいく、捨てがたかったのでしょう。たしかに子どもはこの上なくかわいい。しかし、この愛おしいと思う気持ちは、下手をすると、すぐに執着に転じてしまいます。この子に彼氏が出来たらどうしようと今から不安になるのも、執着。思い通りに育って欲しいと願うのも、仏教では執着になります。執着とは、心がとらわれてしまうこと。苦しみの源でもあるのです。

子どもを持つことは、もっとも強い執着を生み出しかねない。お釈迦様は、人間が持つこの情動を冷静に見極めていたのだと思います。

一方で、育児をしていると、執着の無意味さにも出会います。

11月のある日、妻が美容院に行ったので、私が一人で見ていると、ウンチをした娘。お尻を拭こうとした隙に、オシッコもしてしまい、服もビショビショです。

慌てた私は、娘の服を脱がせてスッポンポンにしますが、着替え探しに手間取ってしまい、手が付けられないほどに大泣きをさせてしまいます。

ゴメンゴメンと言いながら、抱っこしても泣き声は大きくなるばかり。こりゃダメだと、ベビーカーで多磨霊園を散歩しても、20分近く、ぐずっていました。秋空の下、私は汗でびっしょり。お墓参りに来ていた方は、困り果てた顔をしてベビーカーを押す私を見て、奥さんに逃げられたのかと思ったかもしれません。

つくづく「思い通りになってくれないなぁ」と思いました。でも、この「思い通りにならない」と思い知ることが、仏教の修行なんですね。「思い通りになって欲しい」というのはまさに執着、欲望です。執着があるから、思い通りになってくれないと苦しい。そのままを無条件に受け入れるしかないことに気付かされます。

そんなこんなで、修行に励んでおります。次にみなさんにお会いする時は、一回り精神的に成長しているかも……。期待をしないで待っていてください。

閉塞感ただよう今

5月には緊急事態宣言を受け、『信友』も臨時号を発行して、コロナの不安との付き合い方をお伝えしました。あの頃は、年末にはホッとできているのではないかという一抹の淡い期待がありました。しかし、現実には今もなお拡大するコロナ禍に、疲れ切ってしまいますね。

そんな先行きの見えない世相を反映してか、夏から自ら命を絶たれる方の数が前年と比べて増加の一途をたどっています。著名人の自死が相次ぎ、心が沈んだ方もいらっしゃるでしょう。

かれこれ13年ほど、「自死・自殺に向き合う僧侶の会」で死にたいという方々の相談を受けていますが、みなさん、死ぬことばかり考えているわけではありません。生きることも真剣に考えています。「本当は生きていたいけれど、生きていけないほどつらい」、「死んで楽になりたいけど、死んではダメと踏ん張っています」と、「生きたい」と「死にたい」のはざまで思い悩んでいらっしゃいます。

学生に自死について授業をすることがあります。そこで伝えたいことは主に二点。

一つには、自死で亡くなった方に偏見を持たないで欲しいということ。自死は命を粗末にしているわけでなく、死の瞬間まで、真剣に悩んだのだ。精一杯生き切ったのだと思ってもらいたい。よく自死をした人は成仏できないと言われますが、少なくとも浄土宗ではそのようなことはありません。阿弥陀様は亡くなり方で差別することなく、救ってくださいます。

もう一つは、自分自身が死にたいと思うほど悩んだ時に、抜けだせる強さ。この強さは、腕力や精神力ではありません。人に頼れる強さ、相談できる強さです。みんな弱いんだから、頑張らなくてもいいじゃない、どんどん人に頼りましょうよ、と。自分の弱さを認められる強さと言ってもいいでしょう。思い悩むことの多い若者だからこそ、この二つを身に着けて欲しいと願っています。

コロナ禍の苦しさの中で自ら命を絶った方々に阿弥陀様の救いがありますように。

今、思い悩んでいる方々が誰かに頼ることで、一歩進めますように。

そして、信友のみなさまが心穏やかに年末年始を過ごせますようにと祈ります。