The Egg Tree House講演会【2月11日】

住職が理事をつとめています一般社団法人The Egg Tree Houseでは、来年2月11日に講演会「こころとからだに耳をすます」を開催します。
みなさまのご参加を心よりお待ちしております。
http://www.eggtreehouse.org/event/event_201702.html

  • 日時:2017年2月11日 10:00~
  • 場所:小金井市 宮地楽器ホール 小ホール(東京都小金井市本町 6-14-45)
    JR 中央線「武蔵小金井駅」南口駅前
  • 申込み:完全予約制
  • 定員・参加費:
    – 第1部 野口体操(定員 50 名) 2,000 円
    – 第2部 講演会(定員 120 名) 1,000 円
    – 第3部 懇親会 (定員 50 名) 2,000 円
  • 講師:
    – 羽鳥 操 (野口三千三授業記録の会代表 立教大字・中央大字非常勧講師)
    – 大熊 雅士 (NPO 法人元気プログラム委員会副理事長/カウンセリング研修センター学舎ブレイブ室長)
    – 副島 賢和 (昭和大学大学院保健医療学研究科准教授)

 

※講演会は入場予約制です。参加費は当日お納めください。

【タイムテーブル】

  • 10:00-12:00 第1部
    – 野口体操「からだとの対話・からだから癒す」羽鳥操
  • 12:00-14:00 休憩
  • 14:00-16:30 第2部
    – 「大切な人を失う時」大熊雅士
    – 「こころの声が言葉になる」副島賢和
    ~院内学級の子どもたちが教えてくれた大切なこと~
  • 17:00~ 第3部 懇親会

最後の仕事

寺報『信友』203号を檀信徒の皆さまに郵送いたしました。巻頭文「最後の仕事」を転載いたします。
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早いもので、間もなく父が遷化して、一年が経とうとしています。
昨年十二月十四日の早朝に父は息を引き取りました。私、その日の昼に大学で仕事が入っていました。それは、お寺の奥さんたちにグリーフケアについて話すというもの。
グリーフケアというのは、喪失の悲嘆、特に死別の悲しみをケアすることをいいます。ピンチヒッターを誰かにお願いしようかと思いつつも、母も姉も、「お父さんだったら、仕事に行ってきなさいと言うはずだから」と背中を押してくれたので、出勤と相成りました。
「実は今朝、父が亡くなりまして……」なんて言うと、皆さんが動揺してしまうだろうと思って、何も言わずに淡々と話します。「亡くなってしばらくは、その人がもういないという現実になかなか馴染めないものです」とか、「喪失感は心身にいろいろな形で表れてきます」などと講義するわけですが、妙な気分になったことを覚えています。なにせ、一番の当事者が私なのですから。
現実感がないというか、数時間前に父親が亡くなった私、葬儀の準備や連絡を早くしないといけない私、死別の悲しみについて講義している私、それらがバラバラで夢の中を漂っているような感じでした。
その三日後の十七日、再び大学で仕事です。オープンカレッジ(一般の人向けの講座)で「葬儀・葬送の基礎知識」の講義を、通夜を翌日に控えた私がするという、これまた悪い冗談のような仕事。しかし、その頃は無感情で、ただただ無我夢中、目の前に山積みになった、やらなければならないことをひたすら片付ける、そんな毎日でした。
密葬が終わっても、ひと息つく暇もなく、二月の本葬の準備です。不思議なことに、ふりかえると一月、二月の記憶が結構抜けています。たとえば、夏頃になって、「あっ!税務署に出す法定調書、忘れてた!」と大慌てしたものの、調べるとちゃんと出しているのです。だけれども全く記憶にありません。記憶力が低下していたのか、機械のように働いていたのか、我ながら、よくやっていたなと思います。
やっと本葬が終わり、今度は気が抜けたのか、3月から5月くらいまではずっと体調不良。風邪→胃腸炎→一週間の健康→再び胃腸炎→風邪、そんな日々でした。
秋の彼岸くらいになると段々生活にも慣れてきて、父のことをゆっくり思うことも出てきました。親父だったらきっとこう言うだろう、こう思ってくれるだろうと、思い出を頼りに想像します。ああ、これが亡き人と会話をする、偲ぶということなんだなとあらためて実感しています。
こうして一年を綴ってきましたが、これ、全部、私が十二月十四日に話していたことなんですね。無感覚、記憶力の低下、体調不良、故人との語らい。家族と死別をした人によくあらわれる過程なのです。今までどこか他人事として話していたことが、我が事となった一年だったのかもしれません。
死んでいくということは子どもへの親の最後の仕事とも言いますが、父もまた死によって私に多くのことを教えてくれたようです。

アシナガおばさん

8月にお出ししました寺報『信友』の巻頭文を掲載いたします。

以前、お寺の前の駐車場にプレハブの二階建てが建っていたことを覚えていらっしゃる方も多いことでしょう。
建てられたのは私が九歳の頃。当初、父と姉と私が寝ていたプレハブも、姉が一人暮らしを始め、父は寺に移り、最後は私と猫の二人暮らしとなりました。
今から五年ほど前の初夏の日、目が覚めると窓ガラスとカーテンの間から羽音が聞こえます。ハエかなと思って見てみると、たいそう立派なアシナガバチです。それも三匹。腰を抜かして、殺虫剤で退治してしまいました。(南無阿弥陀佛)どこから入ってきたのか調べましたが、分かりません。そして、翌朝、再び羽音が聞こえ、またも数匹のアシナガバチがいます。今度は窓を開けて、逃がしてあげます。まさかもう出ないだろうと思った翌日、やっぱりいます。これが一か月くらい続きました。家のどこかに巣があるのか調べてみても、みつかりません。どこから出てくるのか、どこから入ってきているのか、全く不明。カーテンがハチを産んでいるのではないかとさえ思えてきます。
でも、不思議なもので、毎日のように続くと、慣れてきて、怖くなってきます。ネットで調べると、滅多なことでは刺さないおとなしい性質とのこと。外に出ようと必死で窓にぶつかるアシナガバチがかわいく思えてきたりもして。
翌年の初夏、再びカーテンがアシナガバチを産みだします。アシナガバチが戻ってきたと少しうれしくなっている私がいました。しかし、これを聞いた両親は、すでに床がいたるところで抜けていたプレハブの限界が来たと決断、立て替えることに相成りました。
昨年の夏、お寺の庭を眺めていると、アシナガバチが数匹飛んでいます。その行方を追うと、二階の軒先に巣を作っているではありませんか。カーテンが産んだアシナガバチか分かりませんが、なんとなくそんな気がして、巣に殺虫剤をかけようとする母を制止して、「アシナガバチは毛虫をつかまえてくれるから、庭木の味方なんだ。巣に近づかなければ刺されることはない」と命乞いをしました。納得のいかない母でしたが、次第にかわいく思えてきたのか、やがて秋も深まってくると、壁の隅っこに数十匹で固まって寒さをしのいでいるハチ達に憐憫の情まで抱くようになっていきました。
今年は待てども待てども、あらわれません。どこか近くに引っ越しでもしたのかしらと、寂しげにアシナガおばさん(おばあさん?)がつぶやきます。全ては移ろいゆくとはお釈迦さまの最後の言葉。人の気持ちも移ろいやすいものですね。