シンポジウム動画公開

今年の3月11日に武蔵小金井の宮地楽器ホール(のロビー)で開催された「生と死をみつめるシンポジウム」の動画が公開されました。

クローバーグループ・小金井祭典 – YouTube

私はこれといった見せ場はないのですが(笑)、橋爪謙一郎さんの基調講演はグリーフ(死別の悲嘆)についてとても分かりやすく説かれていますし、後半のシンポジウムも誰にでも訪れる死別にどう向き合い、やり過ごしたら良いのか、多くのヒントが散りばめられていると思います。

ただ、とても残念なのは、シンポジウムに登壇されている西尾温文さんが6月8日に急逝されたことです。
一緒にエッグツリーハウスという子どものグリーフサポートをする団体を立ち上げた仲で、亡くなる2日前にもお会いしてこれからの計画を聞かせてもらったばかりでした。
西尾さんの温かな人柄がとても伝わるシンポジウムですので、是非、ご覧いただきたいと思います。

分かち合いの会「つきあかり」

6月から府中市内で「つきあかり」という遺族の分かち合いの会がスタートします。
(6月は緊急事態宣言を受けてzoom開催)

死別の悲嘆(グリーフ)は人それぞれですが、大切な人を亡くした現実はすぐには受け入れられるものではありませんし、悲しさ、苦しさ、時には怒り、安堵感など様々な感情が湧いてきて、それを誰にも言えずに一人で抱えていらっしゃる方もいるでしょう。

そのような思いを誰に気兼ねすることなく、話せる場所が「つきあかり」です。
府中市内在住の看護師さんが立ち上げられて、私もほんの少しだけお手伝いをさせていただいています。

以下に「つきあかり」の開催予定等が記されたチラシとグリーフについて分かりやすく書かれた資料のPDFを添付いたしますので、ご参照ください。

つきあかりのチラシ

グリーフとわかちあいについて

人生のいろどり

寺報『信友』222号の巻頭「人生のいろどり」を転載いたします。

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5月28日、東京駅からほど近い巨大な建物の前には、検温を待つ高齢者たちの長蛇の列。さて、ここはどこうでしょうか?

大手町の大規模接種会場と思った方。あなたは常識人です。しかし、答えは残念ながらハズレ。

正解は、東京国際フォーラム。沢田研二のコンサート前の様子でした。「こんな時期に?」と思う方がほとんどでしょう。でも、やったのです。

そして、そのコンサートに、82になるジュリーファンの母を送迎してきました。医療従事者の方や自粛生活を徹底している方には申し訳ないのですが、これには訳がありまして……。

実は昨年の春、母が悪性リンパ腫を発症しました。3年前から悪性リンパ腫の疑いがあり、経過観察を続けてきましたが、2月頃より、急激に食欲が低下。50キロ以上あった体重が、数ヶ月で36キロまでに減少します。各種の検査の結果、ステージは4。このままではダメだということで、6月から抗がん剤治療のスタートとなりました。

抗がん剤の投与のために5日間入院、自宅で3週間療養。これを6回繰り返します。副作用は当然あります。なかでも大変だったのは貧血。抗がん剤が骨髄の造血機能を抑制するらしく、回数を重ねるごとに貧血が悪化。四回目の入院からは、輸血をするほどでした。

5回目の抗がん剤投与を終えると、「6回目をやると骨髄の機能が戻らなくなるかもしれないから、5回目で終了しましょう」と主治医。検査の結果、少しリンパ腫は残っているけれど、部分寛解という診断。いやぁ、良かった良かったと家族一同、胸を撫で下ろして年末年始を迎えられました。

ところが、そうは問屋がおろしません。今年1月の半ば、体温が37度を超える日が2日ほど続くと、一気に39度に。酸素量も80%と危険な数値です。

検査の結果、胸に水が溜まっていることによる発熱と低酸素で、原因は悪性リンパ腫の再発とのこと。即入院・抗がん剤治療です。これには母も家族も相当こたえました。予後不良の可能性が高いと言われていましたが、たった2ヶ月半での再発で、ため息しか出ません。

せっかく生え揃ってきた髪もまたツルツルになってしまいましたが、「孫の記憶に残るまでは頑張って生きなきゃ」と懸命に励まし、なんとか全3回の抗がん剤治療を終了。一定の効果があり、今は月に1回の経過観察に移りました。

そんな矢先に、ジュリーのコンサートが決まったのです。ワクチン未接種の不安はありつつも、闘病のご褒美だとチケットを購入。本人も直前まで渋っていましたが、大満足で帰ってきました。

演劇や映画、コンサートなどのエンターテイメントは、コロナ禍のなかで「不要不急」とされ、不必要なものと扱われてきた一年でした。しかし、少なくとも、いつ再々発するか分からない母にとって、ジュリーのコンサートは、生きる喜びを感じ、明日への意欲を得られる、今しかないひと時でした。

仏教では「欲望」はなるべく小さくするよう説きますが、「意欲」を否定するものではありません。そもそも、意欲がなければ前向きには生きられません。3食昼寝付きでも生涯独房だったら、どうでしょうか。人と出会う、音楽を聴く、旅をする、笑い、泣き、感動する。そんな人生の彩りがあってこそ、生きる意欲がわくのではないでしょうか。

この1年、「あそこに行きたい」、「あの人に会いたい」と願いながら、コロナのために叶わぬまま、亡くなられた方も多いことでしょう。お見舞いのない闘病は苦しく、意欲も減退するでしょう。

本当にコロナが憎らしいですね。僧侶が「憎い」なんて言葉を使うべきではないのですが、がん患者の家族となってみて、ご本人や家族の無念があらためて察せられるのです。

限られた時間のなか、些細なことでも願いを叶えてあげたいと誰しも思うもの。「コロナが無ければ……」という後悔をせずに済むよう、ただただ、一日も早い収束を祈るばかりです。

母からは、みなさんに心配をかけるから『信友』には書くなと言われていましたが、ジュリーに会いに行けるまで回復したらご報告しようと思っておりました。今は大工の棟梁くらいの髪の量、体重も少しずつ戻っておりますので、ご安心ください。

オンライン患者サロン

2019年3月に東大病院の患者サロンというところでお話をしたことがあります。
入院・通院とわず、東大病院にかかっていらっしゃる患者さんやそのご家族のために、月に1回開かれるもので、毎回、最新治療法や保険の話など、多種多様なテーマとなっています。
その時の私のテーマは「心を落ち着けるには?『生きる』を考える」というもので、東大のサロン担当の先生に考えていただいたものでした。
重いテーマですが、私がそんな重厚な話ができるわけもなく、仏教の生老病死の話をいつもの感じでさせていただきました。
あれから2年が経ち、私の記憶も薄れてきたころ、再びご依頼をいただきました。
コロナの為、オンラインでの患者サロンとのことです。
参加される方の顔の表情が分かりにくいのと、話の脱線がしずらいので、どちらかといえばオンラインは苦手なのですが、東大病院で坊さんが話すという事実を積み重ねることは、医療と宗教の垣根を超える一助になるのではと思いまして、お受けすることにいたしました。
まあ肩ひじ張らずに気楽な感じで進めたいと思っております。
【2021/5/27】オンライン患者サロン「気持ちのつらさを分かってほしいとき~医療者以外への相談」を開催いたします。どなたでも参加できます。 – 東京大学医学部附属病院 がん相談支援センター (todai-gansodan.jp)

春の彼岸法要ご報告

今年の春の訪れは早く、先週末あたりが多磨霊園の桜の見頃でございました。昼間は薄手のシャツでも過ごせる暖かさですが、夜はいくぶん肌寒さが残っております。季節の変わり目ですので、みなさま、くれぐれもご自愛ください。

さて、今年の春の彼岸法要も昨年同様の無参集という形で3月20日13時よりお勤めいたしました。基本的に無参集ではありますが、檀家総代さんをはじめ、5家族12名のご参列をいただきました。ありがとうございました。

今回の彼岸法要には、例年と比較して、とても多くのご回向・お塔婆のお申込みをいただきました。みなさま、コロナ禍でなかなか墓参もかなわない中、ご先祖様や亡きご家族へのご供養のお気持ちを強く持たれていらっしゃるのではと拝察しながら、心を込めて一霊ずつご回向をさせていただきました。

また、新しい試みとして、阿弥陀さまに色とりどりのお花をお供えしました。(写真の右手前)こちらのお花、実は3輪ずつセロファンで包まれています。法要後、阿弥陀さまからのお裾分けとして、みなさまにお持ち帰りいただきました。コロナ禍では、これまでのようにお弁当をお出しすることもできません。せめて、阿弥陀さまからのお花をご自宅のお仏壇にお供えいただければと考案してみました。

法要後は、いつも通りその日のうちに、お塔婆を多磨霊園内各墓所に立てております。法要後に遅れてお申込みが届いた分については、その都度、ご本尊前にてご回向しておりますので、ご安心ください。

※写真には修正を入れてぼかしておりますこと、ご了承ください。

3月11日「生と死をみつめるシンポジウム」

3月11日14時半から武蔵小金井駅前の宮地楽器小ホールにて「生と死をみつめるシンポジウム」が開催されます。

私が大変信頼している葬儀社さん・小金井祭典の是枝社長が企画されたシンポジウムで、私もファシリテーター(進行役?)で登壇します。
是枝さんは、遺族が抱える死別・喪失による悲嘆(グリーフ)をどうサポートしていくかをいつも真剣に考えていらっしゃって、私自身、いつも学ばせていただいています。
その是枝さんのグリーフサポートの師匠である橋爪謙一郎さんが基調講演をされ、そのあと、橋爪さん、是枝さん、さらに私も良く知る西尾さん、狐島さん(子どものグリーフサポートの団体エッグツリーハウスを一緒に立ち上げました)がパネルディスカッションをおこないます。

入場無料でございますので、ご興味のある方は是非お申込みください。

Symposium-A4flyer_0223v2 ←A4チラシPDF

Symposium-B4posterv2 ←B4チラシPDF

実は、このシンポジウムは夜に開かれる「第8回バチカンより日本へ祈りのレクイエム」というコンサートの露払い的な意味もございます。
バチカンの枢機卿と日本の僧侶が間接的にタッグを組むという珍しい機会ともいえます。
コンサートは有料になりますが、こちらも是非ご参加いただければと存じます。

静けさの中に友となる

寺報『信友』221号の巻頭「静けさの中に友となる」を転載いたします。
今回の『信友』には、写真のお線香を同封いたしました。
どうしてお線香を同封したのかを書かせていただきました。

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日本で新型コロナウイルスの感染が確認されて、もう一年が経ちます。東京の感染者が数十人というニュースに慌てていたあの頃に懐かしさすら覚えてしまいます。みなさま、それぞれに辛抱しながら、この一年を頑張ってこられたことでしょう。心よりお見舞いを申し上げます。

一年前の「信友」では、春の彼岸法要をいつも通りの形でご案内をしていました。つまり、みなさんにお寺にお集まりいただき、お弁当をお出しし、住職が法話をして、法要では、みなさんと一緒にお念仏をお唱えするというもの。

しかし、感染が拡大したため、無参集という形に変更せざるをえませんでした。飲食は危険、大勢で声を出すなんてもってのほか。そんなことを専門家から言われてしまうと、お寺の行事は危険がいっぱい。毎回、五、六十人のご参集があったこと、なんて幸せなことだったかと溜息が出てしまいます。

「アクリル板を置いたらお弁当もOKかな?」「マスクをしていれば、ご参集していただいても大丈夫では?」などと考えてはみますが、不安が拭い切れません。やはり、安心して手を合わせていただくのが何よりも大事なこと。まだまだ辛抱と思っております。どうかご理解のほど、お願いいたします。(当日、墓参等で近隣にお越しの際、法要にお立ち寄りいただくのは構いません)

さて、もう一年も信友のみなさまとお会いできていないのだなあと思いまして、何か繋がりを感じていただけるものは無いだろうかと頭をひねってみた私。ひらめいたのが、同封のお線香です。

お寺にお線香は付き物。お仏壇にお線香をお供えしていただき、その香りから、蓮宝寺を思い出していただけたらと淡い期待を込めていますが、実は、お香には、「香の十徳」といって、古くから十の徳があると言われています。

感格鬼神(感性が研ぎ澄まされる)
清浄心身(身も心も清らかにする)
能除汚穢(よく汚れを取り除く)
能覚睡眠(よく眠りを覚ます)
静中成友(静けさの中に友となる)
塵裏愉閑(多忙な中にホッと一息)
多而不厭(多くても邪魔にならず)
寡而為足(少量でも十分に足りる)
久蔵不朽(長期保存して大丈夫)
常用無障(常用しても支障なし)

今回、特に注目したいのは、五番目の「静中成友」。静けさの中に友となる……。なんだか、分かるようで分かりません。どうやら、「孤独感を和らげる」と解釈するようです。静けさというのは、一人ぼっちの状態。そこで友となってくれるのが、お香の良いかおりということなのでしょう。

コロナ禍で会いたい人に会えない。サークルや趣味の集まりにもいけない。お友達とおしゃべりができない。お墓参りにも行けない。そんな寂しさをお線香で少しでも癒していただければ、私も嬉しい限りです。

とても香りのよいお線香ですので、お仏壇に限らず、アロマ代わりにお使いになってもかまいません。コロナに感染すると、鼻が効かなくなると聞きます。「今日もいい香りがするから、感染していなさそうだ」と嗅覚チェックにもお使いください。

本堂にお雛様

娘が生まれたということで、私の母が「お雛様を出してあげましょう」と号令を発しました。お雛様は女の子が生まれるたびに新しいお人形を用意し、子どもの身代わりとして災厄をお人形に受けてもらうというのが本来だそうですが、固いことは抜きにして、姉が誕生した時のお祝いのお雛様を出すことにしました。

四十数年前に母の実家から届いた七段飾りのひな人形も、姉が成長するにつれ、飾られることもなくなり、かれこれ三十年以上、本堂の人目に付かない段ボールの中で眠っていました。 おそるおそる開けてみると、ほとんど傷んでおらず、久しぶりに日の目を浴びて嬉しそうです。

育児という名の修行

寺報『信友』220号の巻頭「育児という名の修行」を転載いたします。
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前号の『信友』で長女の誕生の報告をさせていただきましたら、多くのお祝いのお言葉を頂戴しました。誠にありがたく、感謝申し上げます。

 

おかげさまで健やかに育ち、間もなく4か月目を迎えようとしています。ということは、私も父親になって4か月。体はすっかり43歳のメタボおじさんですが、まだまだヒヨッコ親父。父親修業中です。

いや、「修行」といっても良いかもしれません。実に仏教を学ぶ修行になっています。

仏教を開いたお釈迦様は、29歳で出家をしたのですが、その直前に男の子を授かったと言われています。お釈迦さまがその子につけた名前は、ラーフラ。なんと、障がい、妨げという意味。昔、我が子に「悪魔」と命名して、役所で拒否されたなんてニュースを思い出し、2500年前にも、とんでもない親父がいたものだと驚かれる方もいらっしゃるでしょう。

この名前の由来には諸説ありますが、出家を前にして、子どもに情が移らないように名付けたとか、「乗り越えなければいけない障がいができた」と名付けたという説があります。

家族を捨て、悟りを目指そうと決意したお釈迦様にとっても、我が子はやはりかわいく、捨てがたかったのでしょう。たしかに子どもはこの上なくかわいい。しかし、この愛おしいと思う気持ちは、下手をすると、すぐに執着に転じてしまいます。この子に彼氏が出来たらどうしようと今から不安になるのも、執着。思い通りに育って欲しいと願うのも、仏教では執着になります。執着とは、心がとらわれてしまうこと。苦しみの源でもあるのです。

子どもを持つことは、もっとも強い執着を生み出しかねない。お釈迦様は、人間が持つこの情動を冷静に見極めていたのだと思います。

一方で、育児をしていると、執着の無意味さにも出会います。

11月のある日、妻が美容院に行ったので、私が一人で見ていると、ウンチをした娘。お尻を拭こうとした隙に、オシッコもしてしまい、服もビショビショです。

慌てた私は、娘の服を脱がせてスッポンポンにしますが、着替え探しに手間取ってしまい、手が付けられないほどに大泣きをさせてしまいます。

ゴメンゴメンと言いながら、抱っこしても泣き声は大きくなるばかり。こりゃダメだと、ベビーカーで多磨霊園を散歩しても、20分近く、ぐずっていました。秋空の下、私は汗でびっしょり。お墓参りに来ていた方は、困り果てた顔をしてベビーカーを押す私を見て、奥さんに逃げられたのかと思ったかもしれません。

つくづく「思い通りになってくれないなぁ」と思いました。でも、この「思い通りにならない」と思い知ることが、仏教の修行なんですね。「思い通りになって欲しい」というのはまさに執着、欲望です。執着があるから、思い通りになってくれないと苦しい。そのままを無条件に受け入れるしかないことに気付かされます。

そんなこんなで、修行に励んでおります。次にみなさんにお会いする時は、一回り精神的に成長しているかも……。期待をしないで待っていてください。

閉塞感ただよう今

5月には緊急事態宣言を受け、『信友』も臨時号を発行して、コロナの不安との付き合い方をお伝えしました。あの頃は、年末にはホッとできているのではないかという一抹の淡い期待がありました。しかし、現実には今もなお拡大するコロナ禍に、疲れ切ってしまいますね。

そんな先行きの見えない世相を反映してか、夏から自ら命を絶たれる方の数が前年と比べて増加の一途をたどっています。著名人の自死が相次ぎ、心が沈んだ方もいらっしゃるでしょう。

かれこれ13年ほど、「自死・自殺に向き合う僧侶の会」で死にたいという方々の相談を受けていますが、みなさん、死ぬことばかり考えているわけではありません。生きることも真剣に考えています。「本当は生きていたいけれど、生きていけないほどつらい」、「死んで楽になりたいけど、死んではダメと踏ん張っています」と、「生きたい」と「死にたい」のはざまで思い悩んでいらっしゃいます。

学生に自死について授業をすることがあります。そこで伝えたいことは主に二点。

一つには、自死で亡くなった方に偏見を持たないで欲しいということ。自死は命を粗末にしているわけでなく、死の瞬間まで、真剣に悩んだのだ。精一杯生き切ったのだと思ってもらいたい。よく自死をした人は成仏できないと言われますが、少なくとも浄土宗ではそのようなことはありません。阿弥陀様は亡くなり方で差別することなく、救ってくださいます。

もう一つは、自分自身が死にたいと思うほど悩んだ時に、抜けだせる強さ。この強さは、腕力や精神力ではありません。人に頼れる強さ、相談できる強さです。みんな弱いんだから、頑張らなくてもいいじゃない、どんどん人に頼りましょうよ、と。自分の弱さを認められる強さと言ってもいいでしょう。思い悩むことの多い若者だからこそ、この二つを身に着けて欲しいと願っています。

コロナ禍の苦しさの中で自ら命を絶った方々に阿弥陀様の救いがありますように。

今、思い悩んでいる方々が誰かに頼ることで、一歩進めますように。

そして、信友のみなさまが心穏やかに年末年始を過ごせますようにと祈ります。