住職が代表理事をつとめている(一社)エッグツリーハウスについての記事が文化時報という仏教専門新聞に掲載されました。
住職もインタビューを受け、顔写真も載っていました^^;
住職が代表理事をつとめている(一社)エッグツリーハウスについての記事が文化時報という仏教専門新聞に掲載されました。
住職もインタビューを受け、顔写真も載っていました^^;
お彼岸が過ぎ、少しずつ過ごしやすい秋の気配を感じる陽気となってまいりました。
さる9月21日に秋の彼岸法要をおつとめし、48名もの多くのお参りをいただきました。
今回は昨年の施餓鬼法要でも演奏をいただいたシンガーソングライターの山口春奈さんに、ピアノとハープで弾き語りをしていただきました。祈りをテーマにした山口さんオリジナルの歌や、映画「千と千尋の神隠し」の主題歌「いつも何度でも」、リクエストにお応えいただいた井上陽水さんの「少年時代」、幼稚園・保育園ではおなじみの「にじ」など、優しさと透明感あふれる歌声とピアノとハープの音色は、心の垢を洗い清めてくれるようでした。

法要は虎ノ門・栄立院の福西住職、西調布・光岳寺の内田住職にお手伝いいただき、3名でおつとめいたしました。お塔婆はお彼岸の期間内にみなさまの墓所に建てております。

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全6種類、合計110個のおにぎりも完売(販売してるわけではないですが)
今年の秋の彼岸法要は9月21日(日)におつとめします。
13時から山口春奈さんのコンサート、14時から法要の予定です。
寺報『信友』239号の巻頭「信用は一日にしてならず」を転載いたします。
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みなさん、アシダカグモという蜘蛛を御存じでしょうか?
我が家にたまに現れるこの蜘蛛、長い手足を持ち、壁や天井を素早い速さで動き回ります。大きいものは右足の先から左足の先まで15センチにもなるのだとか。見た目の気持ち悪さはなかなかのもので、不快害虫と称されます。虫が大嫌いな妻や子供たちが見つけてしまえば、悲鳴を上げての大騒ぎです。
しかし、アシダカグモ、実は良い奴なのです。インターネットで調べてみますと、
・毒を持たず、人間への攻撃性はない。
・巣を作らないので、網で家屋を汚すことがない。
・ゴキブリやハエなどの衛生害虫を捕食してくれる。
・口から出す消化液には強い殺菌能力があり、自身の脚などもこの消化液で手入れを行うので清潔。
・食物の上などを這い回ることも無い。
・家の中のゴキブリを始末しつくすと、次の獲物を求めて、静かに去っていく。
なんとまあ良い奴ではないですか。見た目は不快害虫ですが、人間にとってはこの上ない益虫なのです。
なので、子どもたちが騒いでも、「この蜘蛛はみんなの味方だからね」と諭す私。子どもは素直なもので、今では「友達だもんね」と怖がらなくなってきました。
一方、妻はまだ嫌悪感を隠しません。先日も悲鳴をあげる妻を「まあそのうちいなくなるからさ」となだめてみたところ、こんな言葉が返ってきました。
「今日会ったばかりの蜘蛛をなんでそんなに信用できるのよ」
ふと、妻の言うことも一理あるかもと考え込んでしまいました。信用するとは、たしかに一朝一夕にできるものではありません。
お寺もしかりです。
たとえば、永代供養では、
「○○さんがお亡くなりになったら、そこから一〇年間、春秋の彼岸法要と夏の施餓鬼法要の年3回、ご回向をします」
といった覚書を交わします。
もちろん「契約」を交わすわけですが、お亡くなりになった後のことで、本当に年3回の回向が実施されるのか、ご本人は確認のすべがありません。
それでも永代供養をご依頼いただけるのは、法要でのご回向を実際に目にしていたり、長年のお付き合いから蓮宝寺は悪いことはしないだろうと「信用」していただいているからなのだと気付きました。寺離れや寺院消滅といった言葉が飛び交う現代社会で、実にありがたいことです。
アシダカグモの話からずいぶんと脱線しましたが、「よく知っている蓮宝寺さんだから信用できるのよ」と言ってもらえるよう精進していこうと思った出来事でした。
本日18時半からラジオフチューズの「府中ラジオ 東の仲間たち」に住職が出演します。
てっきり録音収録と思ったら生放送だそうです。
生放送は緊張しそうですが、前回出演した時に、誰からも「聞きましたよ」と言われなかったので、今回も気楽にのぞみたいと思います。
ラジオフチューズの公式サイトで放送は聴けるようです。お時間ございましたら、お聴きください。
今年は6月から連日のうだるような暑さ、梅雨らしい天気もあまりないまま7月5日の施餓鬼法要を迎えました。
今回は私が法話をつとめさせていただきました。
蓮宝寺のご本尊・阿弥陀如来像の由来を少し説明した後、新聞の連載に書きました子どものグリーフケアの活動についてお話をいたしました。
社会的に「良い」と評価されるようなことを、自分から「やっています」と言うのは粋じゃないと感じてしまうへそ曲がりなので、これまでお話してこなかったのですが、新聞にも書いたことですし、信友のみなさんに知ってもらっても良いかもしれないと、写真を交えながらご紹介いたしました。

法要はいつものように虎ノ門・栄立院の福西上人と西調布・光岳寺の内田上人に出仕していただき3人でおつとめいたしました。
法話を終えて、気が抜けてしまったのか、うっかり袴を履き忘れてしまった私。上半身は浄土宗の正装中の正装(七条袈裟・水冠)をしておきながら、下半身は軽装という実にアンバランスな姿でおつとめをいたしました。法要終了後に参列の皆さんにはお詫びいたしましたが、猛暑のなか冷や汗をかいてしまいました……。

なお、秋の彼岸は9月21日(日)を予定しています。昨年の施餓鬼法要で素敵な歌唱とハープ・ピアノの演奏をしてくださった山口春奈さんに再びご登場いただきます。
次号の信友であらためてご案内いたします。
今年の施餓鬼法要は7月5日(土)におつとめします。
13時から住職の法話、14時から法要の予定です。
寺報『信友』238号の巻頭「ほとけさまの手のひらで」を転載いたします。
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今号で同封しましたものは、共同通信社から依頼され、一年間連載したエッセイになります。目立つことが嫌な私ですが、日頃お世話になっている記者から読売新聞や朝日新聞といった全国紙や地元の東京新聞には掲載されないと聞いて、お引き受けいたしました。
掲載紙として送られてくるのは、福井新聞、伊勢新聞、中部経済新聞、奈良新聞、長崎新聞など蓮宝寺と縁もゆかりもない地域の新聞ばかり。おかげさまで、この一年、「読みましたよ」と言われたことは一切無く、何の問い合わせもございませんでした。喜んで良いのか、誰の心にも響かなかったのだから落ち込むべきなのか分かりませんが……。
ちなみに、同封した記事は栃木県の下野新聞のもの。他の新聞は毎月の宗教とこころの特集ページの片隅に載っていたのですが、下野新聞だけは「おくやみ」欄。栃木県内各地の訃報で埋め尽くされた一面に、私のエッセイがひっそりと配置されているのです。地方新聞の訃報欄は閲覧率が高い人気ページですから、それはそれで良い場所だったのでしょう。
こころに少しでも絡めば内容は何でも良いという依頼で、タイトルも私に任されました。いろいろ考えて決まったタイトルが「ほとけさまの手のひらで」。
振り返ってみると、自分の確固たる意思で僧侶になり、今に至ったわけではなく、流されるがままというのが実感です。悩んだり、もがいたりしているのも、すべてほとけさまの手の上で右往左往しているに過ぎないのではないか、そんなイメージです。
なんとか12回絞り出したエッセイですので、普段あまりお見せしていない真面目な一面も出ているかもしれません。「住職はこんなことしているんだ」、「変なこと考えてるものだ」など、お暇な時にでも、御笑読くだされば幸いです。
昨年の施餓鬼法要で素敵な歌とピアノ・ハープの演奏をしてくださった山口春奈さんが、5月25日にコンサートを開かれます。
是非、みなさまにもお聴きいただければと思います。
詳細は以下リンク先をご覧ください。