秋の彼岸法要ご報告

暑さ寒さも彼岸までというように、ここ数日ですっかり秋の空気になってまいりました。朝晩は肌寒さすら感じるくらいです。みなさま、体調管理にお気をつけてお越しください。

コロナの方は、ニュースで感染者数を聞くのも、すっかり慣れてしまいましたね。自粛生活にも我慢の限界を感じる人も多いようで、四連休の人出がそれを物語っていました。

さて、『信友』でご案内しました通り、秋の彼岸法要を無参集という形で9月22日13時よりお勤めいたしました。基本的に無参集ではありますが、檀家総代さんをはじめ、5名の参列をいただきました。

ご一緒に手を合わせていただく方がいると、ありがたく感じられ、読経にもより集中できるような気がいたしました。ありがとうございました。

とはいえ、いつ、通常通りの彼岸法要を再開して良いのか、素人には判断が難しいところです。網戸にして、エアコンをかけて、空気が流れるようにはしているのですが、いつものように50名前後の方が参集すれば、やはり密な状態になってしまうでしょう……。来年の3月には、お食事は無理でも、本堂と客間に分散してお座りいただき、法話・法要が勤められるといいなと思います。

お申込みいただいたご回向もしっかりさせていただきました。いつも通りお塔婆を並べ、塔婆供養もいたしました。その日のうちに、多磨霊園内各墓所に立てております。法要後に遅れてお申込みが届いた分については、その都度、ご本尊前にてご回向しておりますので、ご安心ください。

施餓鬼法要では、短い動画をホームページに公開しましたが、今回は檀信徒のみ限定公開の形で動画を作成しました。檀信徒で閲覧ご希望の方はメールをお送りください。

コロナの影響で、春以降、ごく少人数でのご法要も増えてまいりました。親族が集まる法要とはまた違った妙味があるようにも感じます。蓮宝寺では、換気・消毒等、感染対策に注意を払っておりますので、ご親族集まってのご法要でも、お一人でのご法要でも、安心して亡き方と向きあえる時間をお過ごしいただきたいと思います。

追伸 彼岸法要を境としまして、夏用の簀戸障子から、紙障子に入れ替えました。なかなか重労働で姉ともどもヘトヘトになりました(笑)

 

家族になること

寺報『信友』219号の巻頭「家族になること」を転載いたします。
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長い梅雨が明けた途端に猛烈な暑さがやってきました。コロナに加えて、熱中症にも気を付けながら、くれぐれも体調にお気をつけてお過ごしください。
秋の彼岸会法要も、今般のコロナ感染状況、三密防止を考慮しまして、参集しない形でお勤めすることにいたしました。今年は、年3回の皆さんにお会いする尊い機会を全て失うことになり、断腸の思いです。ご理解くださいますようお願い申し上げます。

2016年10月に結婚してから、信友の皆さんには、「お子さんは?」と気にかけていただいておりました。のんびり屋の私は、まあ、授かる時に授かるだろうくらいに考えていましたが、年々低下する私の(子育ての)体力を案じる妻。
授かりかかったことはあったのですが、なかなか育つことができず、夫婦で話し合って、不妊治療を受けることに。いろいろと調べ、勉強するなかで、子どもを授かるということがいかに当たり前ではなく、奇跡的なものかということが良く分かりました。同時に苦しみの深さも知りました。
第一段階の治療を一年近くやってみましたがうまくいきません。毎月ホルモンの薬を飲まなければいけない妻はそのたびにだるそうですし、見ている私も胸が痛んだものです。結果が出なければ、お互いに落胆は隠せません。難しさを分かっていても、どうしても期待してしまう欲に苦しみます。

そんななかで、私たちを癒してくれたのは飼い猫のペイでした。2000年の4月、生後2か月で父が買ってきた猫で、今年で20歳、人間でいえば、100歳にならんとする老猫です。
妻は結婚するまで猫を触ったことがなく、動物自体が苦手。結婚したら猫と同居という話をする時も、「もうおじいちゃんだから、もうすぐ亡くなるから」と説得をしたほどです。
しかし、そもそも妻に猫好きの素質があったのでしょう、すぐに妻とペイは仲良しになってくれました。ペイは隙あらば妻に抱っこをせがみ、寝る時は、私と妻の間に入り、妻の布団に潜り込みます。あたかも二人の子どものようで、寝顔に癒されていました。
私たちの会話は、「ペイはどうした?」で始まる毎日。妻がやってくるまでは、「飼っている猫」でしたが、妻のおかげでペイは家族の一員になれたような気がします。

昨年の10月頃、不妊治療に疲れた私たちは、少し休んで、年が明けたら、第二段階(体外受精)に移ろうということに。
お酒が大好きな私たちは、体外受精をすれば、しばらくお酒を楽しめなくなるから、この年末年始は飲み納めだねと杯を交わします。ところが、妻の杯が進みません。お酒が美味しくないというのです。妻の口からそんな言葉を聞くなんて、天と地がひっくり返る出来事です。
だるさもあり、これは何かホルモンの影響かもしれない。正月明けに婦人科に行きますと、
「あれ?妊娠してるね。保健センターに行って、母子手帳を発行してもらってきて」
全く想定外の言葉に、お互いに鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしてしまいました。嬉しいというより、驚きの方が勝っていたことを記憶しています。気を緩めたのが良かったのか、結果的には不妊治療をお休みした間に授かったようでした。
コロナ禍のさなかの妊娠ということ、また、これまでの経験から、無事に生まれてきてくれるだろうかという不安は、安定期に入ってからも強くありました。
一方で、コロナ禍のおかげで、私の大学勤務もオンラインとなり、妊娠中の妻のそばにずっといられたことは幸いでした。運動を兼ねて、徒歩で1駅、2駅先くらいまで買い物に出かける毎日。つわりでつらそうな妻に寄り添うように、ペイもいつも一緒に寝ていました。
妻は実家のある秋田で出産をすることになり、6月初旬に里帰り。妻の実家には3人を育てた義祖母、4人を育てた義父母がいるので、安心です。
ただ、安心できなかったのはペイで、2週間ほどで背中に大きなハゲが出現。動物病院でいろいろ調べても原因は特定できず、「考えられるのは、奥さんがいないストレスでしょう」という診断。いかに慕っていたかが分かります。私が不在になっても、そんなことは起きなかったはずです。
元々、腎臓が悪く、心臓も遺伝的に悪くなる猫種で、20歳という年齢から、いつどうなってもおかしくありません。7月末から急にぐったりし出し、8月に入ると、自力でトイレもままならず、オムツを使用することに。食欲のないペイのため、料理が苦手な私も、圧力鍋で鶏肉を煮立てて餌を手作り。手で一口ずつ与えるなど、すっかり介護状態。妻も秋田から心配しますが、どうにもなりません。
ところが、ペイの持つ生命力は驚くほどで、数日経つと、自力で歩き、椅子にも登り、数日後には、オムツを外せるまでに回復しました。
そんなペイに安心をしたのか、ペイがオムツを外せた日の夜に妻は破水し、緊急入院。数日前に秋田でもクラスターが発生したため、一切の面会・立ち会いが禁止されるなか、妻は一人で頑張ってくれました。翌日の午後5時29分、3005グラムの元気な女の子を無事に出産いたしました。
私は8月15日から3日間、秋田の実家に行き、娘と初対面。(念のため、自費のPCR検査も受けました。)実際に対面すると本当に小さい。それだけに、いのちの尊さを思います。よくここまで育ってくれたと感謝の念で一杯です。
その顔を見ていると、全ての赤ん坊は邪心なく、澄み切った心で生まれてくるのだろうと思えてきます。その心をどう色づけていくのか、これは親の責任なのだと気が引き締まりました。

16日の夜、姉から電話が鳴ります。「ペイが亡くなった」と。仕事から帰り、夜の餌を上げようとした姉が見たものは、いつもの椅子の上で息絶えたペイでした。
一時期はもうダメだと諦めましたが、持ち直し、この調子だと、妻に再会するまで生きられるんじゃないかと思うほどに元気になったペイ。私はすっかり安心して、秋田に来ていました。
その日の朝も餌を食べ、オシッコも自力で出せていたそうです。死後硬直の具合から、おそらく夕方に旅立ったと姉は言います。
私はとにかく長く苦しむペイは見たくないし、死ぬところも見たくないので、それは姉に任せると冗談半分に言っていました。椅子に登れたということは、死の直前まで動けていたのでしょう。そして、しっかり姉を第一発見者にしてくれました。
猫は死期をさとると言います。妻が娘を産むまでは、私が娘と会うまでは、なんとか生きていようと頑張ってくれたのかなと思います。ペイが亡くなったころ、私と妻と娘は川の字で昼寝をしていました。私たちのショックが小さくて済むように、幸せな時に旅立ったのかもしれません。

家族になること。それは、この上ない喜びです。奇跡的に育まれたいのちとの出会いであり、関係を深く結んでいくこと。
ですが、別れることの恐怖と苦しさも常にあります。妻のおかげでかけがえのない家族となったペイとの別れの悲しさ、苦しさは想像以上でしたが、それだけ関係を結べたからこその副産物と受け止めています。
妻のおかげで出会えた娘とも、いつか別れることになります。順調なら私が先にお浄土に行くでしょう。その時、娘に手を握って、涙を流してもらえるような父親になれるよう、いつ逝っても悔いのないように愛情を注いでいきたいと思います。

中国のネットTV番組

昨年の夏に中国のテレビ局の取材を受けました。
日本自殺予防学会会長の張賢徳先生の紹介ということで、たしか撮影のほんの少し前に蓮宝寺で撮影をしたいと連絡があり、訳も分からずハイと答えてしまったのが運の尽き。
当日になったら、住職も出てくださいと……。
張先生の手前、断りずらいのと、テレビのように顔が出るものは出たくないのですが、中国の放送だったら良いかと引き受けました。
(実際、今のところ全く反応はなくて安堵しています(笑))

明治維新から150年後の日本を中国の著名ジャーナリスト(らしい)の许知远さんが、様々な角度から考察する連続ドキュメンタリーということでした。
最初、日本の自死の多さには、武士の切腹の文化が影響しているのではという仮説を検証するというような話を聞いて、そんなことがあるかしら?と思っていました。
番組中、「切腹最中」の紹介を私がしていますが、これは上記意図に基づいて製作スタッフが持参したものを、私が出すという形で説明して欲しいということでしたので、「切腹が自死の多さに影響しているかもしれませんが、多くの日本人にとっては「切腹」は最中にできるくらい歴史的な遠い出来事になっているのではないでしょうか」と少し否定するような発言をしています。
中国語が読めませんので、私の発言がどう理解されているのかサッパリ分かりません(^^;
とにかく暑い中、長い撮影で、蚊にも刺されるし大変でしたが、小さい殺風景な寺が風情ある寺に映っていて、さすがプロだなと感心した次第です。

https://v.qq.com/x/cover/mzc00200g6qwp0v/c0957db1fq3.html
https://v.qq.com/x/cover/mzc00200g6qwp0v/p0958zpfi6c.html

令和2年施餓鬼法要のご報告

今年の梅雨は「梅雨らしい」というシトシトとした雨ではなく、豪雨となって各地に多くの被害をもたらしました。首都圏はそこまでの被害はありませんでしたが、信友のみなさまのご親族、ご友人の中には被害に遭われた方がいらっしゃるかもしれません。お見舞い申し上げます。
第一波が収まったのでは?と思ったのも束の間、再び東京では連日200人前後の感染者数が報告されています。出口の見えないコロナ禍そのものに加え、テレビや新聞からの不確かな情報に疲れてしまいますね。
さて、春彼岸に続き、夏の施餓鬼法要もウイルス感染予防のため無参拝という形式で、7月12日13時よりお勤めいたしました。基本的に無参拝ではありますが、『信友』に「当日、墓参等で近隣にお越しの際、法要にお立ち寄りいただくのは構いません」と記させていただいたように、当日、3名の参列がございました。
施餓鬼法要はご本尊と相対する形で施餓鬼壇という祭壇を設け、途中、そちらに移動しての読経、また祭壇に向かっての読経があり、導師はせわしない法要です。例年、お手伝いいただく先輩僧侶が、細かくフォローしてくださるのですが、今年は1人でテンヤワンヤ。暑さの汗か冷や汗か、とにかく汗たらたらでした。
これらの様子を、個人情報の回向の部分などを除いて10分ほどにまとめてみましたので、下記に掲載いたします。
この状況が続くと秋の彼岸法要も無参拝法要となるかもしれません。しばらくは寂しいですが、健康が第一。早く安心して、皆さまと手を合わせられる状況になることを願ってやみません。
通常のご法事では、「客間・本堂を網戸にしての換気徹底」、「玄関にアルコール手指消毒液の設置」、「間隔をあけて座席配置」、「マスクのまま法要参列の励行」など安心してお参りいただけるよう勤めています。ただし、可能性はゼロにはできません。ご不安のある方は遠慮なさらずに延期をお申し出ください。
みなさまも、くれぐれもご自愛されてお過ごしくださいませ。

今年の施餓鬼法要

明日、7月12日、蓮宝寺の施餓鬼法要を行いますが、春彼岸と同様に参集しない形をとります。
私一人でおつとめいたします。
檀信徒のみなさまには13時にお仏壇の前でお手を合わせていただければと思います。

【僧侶向け案内】宗教者と若年者の自殺を考えるZoomセミナー

知人で元防衛医科大学校精神看護学教授の高橋聡美さんから、「宗教者と若年者の自殺を考えるZoomセミナー」の案内をいただきました。
長年、自殺予防教育、自死遺族・遺児支援に携わり、自死が発生した教育現場への危機介入をされてきた高橋さんが、宗教者の力が必要だと痛感して、企画されたとのことです。

7月5日(日)17時~19時、7月29日(水)10時~12時の2回開催(都合の良い方を選んでくださいとのこと)で、参加費2,000円となっています。

ご関心のある方はファイルをご覧ください。
また、お知り合いに関心をお持ちの方がいらっしゃいましたら、シェアをしていただければ幸いです。
よろしくお願いいたします。

僧侶と若者の自殺を考えるセミナー案内

やつれさせない男

今月発行いたしました寺報『信友』218号の巻頭「やつれさせない男」を転載いたします。
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この原稿を書いているのは、5月17日。ニュースによると、東京の新規感染者が5名、全国で24名とのことで、このまま第一波の収束が期待されるところですが、皆さんのお手元に届く頃の予測が全くつかないのが、伝染病の怖いところですね。
前号では、コロナ禍のなかで、不安とどう付き合っていけば良いのか、仏教を土台に書かせていただきました。今号は一転、こんな時にはくだらない話で息抜きも必要かと思いまして、私のしがない恋話を書いてみます。

志村けんさんのショックもまだ明けやらぬ4月23日、岡江久美子さんの突然の訃報が報じられました。志村さんと違い、入院の報道もありませんでしたから、心の準備もできず、驚かれた方は多いことでしょう。
テレビでは岡江さんの死にいたる経緯や無言の帰宅の様子が流され、追悼特番も放送されています。でも、どうしても私は見れません。志村さんの追悼番組は見ることができるのですが、岡江さんの番組はどうしても見れません。

いつの頃からか、私は岡江さんのファンでした。すごい美人で、性格も明るくて……と、高校の同級生に岡江さんの良さを力説しても、誰もピンと来ません。まあ普通の高校生ならば、好きな女性タレントに同世代のアイドルを挙げるところ、21歳も年上の女優さんを挙げるのですから、私も変わり者です。今にして思えば、年上の女性のお相手をすることが多いこの職業の素質が既にあったのかもしれません。
岡江さんは大和田獏さんと結婚していましたが、獏さんにヤキモチを焼くということはありませんでした。年の差からして、岡江さんを恋愛対象として見ていなかったということもありますが、他にも大きな要因があります。
テレビの岡江さんを食い入るように見る私に、母はいつも「久美子ちゃんがこんなにきれいでいられるのは、獏ちゃんが優しいからよ」と諭していたのです。それが刷り込まれて、岡江さんの美しさは獏さんのおかげなんだと、獏さんに感謝の念すら持つようになりました。

高校の通学は神保町が乗換駅でしたので、よく帰り道に途中下車をして、古本街を歩きました。
ある日のこと、文省堂という古本屋の店頭に飾られた岡江さんの若き日の写真集を発見。値段はなんと3万円!高校生の私には手が出せません。インターネットなど無い時代ですから、内容も分かりませんが、3万円という金額が「お宝」という雰囲気を醸し出していました。
それ以降、文省堂の前を通るたびに、売れていないことを確認するのが習慣になり、誰も買わないことを祈る日々。
悩んだ私は、姉に、岡江さんの写真集が3万円で売られていること、なんとかならないものかと相談をしてみました。すると「大学受験に合格したら、入学祝で買ってあげる」と思わぬ一声。
受験勉強も佳境に入っていた高校3年の私は、その言葉を糧にラストスパート。おかげでなんとか志望校に合格することができ、姉も約束を守ってくれました。大学合格は岡江さんと姉のおかげと言っても過言ではありません。

大学入学後はテレビの岡江さんより生身の女性に目が行くようなり、時間を経る中で、私の中の岡江さんの存在は小さくなっていきました。
随分と年月が経った39歳の時、岡江さん夫妻を思い出します。妻との結婚が決まってからというもの、母は口を酸っぱく、こう言うのです。
「奥さんをやつれさせたら、あなたの責任よ」
「妻をやつれさせない夫」といえば、私の中では獏さんしかいません。「ああ、俺は獏さんにならないといけないんだ」と重責がのしかかります。稼ぎはかなわない分、せめて優しさは獏さん以上に……と。

岡江さんの追悼番組を見ることができない理由に戻りましょう。岡江さんのファンとして、死を受け入れたくないという気持ちが理由の一つ目。そして、妻を持つようになった自分と獏さんを重ね合わせて、その痛々しい姿を見ていられないというのが二つ目の理由です。
獏さんは自分の命と引き換えでも良いからと岡江さんの生を祈ったことでしょう。しかし、非情にも、死は訪れました。どれだけ愛情を注いでも、どれだけ生を願っても、愛する人の死という運命は、時も人も選ばずにやってきます。
老少不定(死は年齢に関係ない)、生者必滅(生あるものは必ず死ぬ)としたり顔で仏教を語っていても、我が事となると恐怖に怯えてしまう私がいます。仏教の視点からは、いつどうなるか分からないからこそ、今という一瞬一瞬を大事にしなければいけないのですが、やはり、「死」は恐ろしいものです。
ただ、今回、自分が死に怯える愚者であると実感すると、阿弥陀さまの極楽浄土で亡き人に再会できるということは、本当に救いだなあと思えます。岡江さんと獏さんもきっといつの日か笑顔で再会をされるはずです。

さて、岡江さんほど美しいかはさておき、今のところ、妻はやつれてはいないようです。どちらが先に旅立つか分かりませんが、「妻をやつれさせない夫」でいられるよう、まずは今日一日、妻に優しくあろうと思います。

不安との付き合い方

新年度が始まり、心躍らせる季節のはずが、新型コロナで大変な状況です。

最前線で懸命に働かれている医療従事者、福祉関係の方々、流通や小売など日常生活維持のために尽力されている職業の方々に心より敬意を表します。また、経済的に大きな影響を受けている方々には、行政の支援があることを願っております。

寺院として何かできることはないかと自問自答してはみるものの、浄土宗で疫病退散の御祈願ができるわけでもなく、平安を祈るのみです。

人間の歴史は疫病との闘いの歴史とも言われます。人間の移動範囲が格段に広がった現代は、昔よりも疫病が流行しやすい世界。今の新型コロナが落ち着いても、また新しいウィルスが十年、二十年くらい後に猛威を振るうと予想する人もいます。

「疫病との闘いの歴史」と書きましたが、人間が疫病に完全に勝利したことは天然痘の一回だけだそうです。他のウィルスは根絶することはできず、予防ワクチンや薬の開発はできても、ウィルスを無くすことはできていないのだとか。ですから、「ウィルスとの付き合い方を習得する歴史」と言った方が適切なのかもしれません。

ワクチンや薬の開発に一年以上はかかるはずです。焦らずに付き合い方を学んでいくしかありません。

仏教精神でこの事態にどう対応したら良いのかと考えていましたら、東日本大震災直後の彼岸法要でお配りしたメッセージを思い出しました。

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六波羅蜜を実践しましょう!

お彼岸とは、もともと「六波羅蜜(ろくはらみつ)」という六つの仏教修行を行ない、彼岸(悟りの境地)を目指す期間であったとも言われています。

こんな大変な時期だからこそ、六波羅蜜を行いませんか?

1.布施波羅蜜:義援金や救済物資を被災者に届けましょう

2.持戒波羅蜜:自らの生活を律しましょう

3.忍辱波羅蜜:不自由、不便に文句を言わないようにしましょう

4.精進波羅蜜:自分が今できることを粛々としましょう

5.禅定波羅蜜:まずは心を落ち着けましょう

6.智慧波羅蜜:デマに惑わされず正しい情報をもとに、自らのなすべきことを考えましょう

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簡単に言えば、欲を小さくし、他者のためを思い、心を乱されず、あるがままに物を見ましょうということ。(本当に簡単に言ってしまって、仏教学者に知られたら怒られますので、ご内密に)どれも今の状況でも、役立てられるのではと思います。

布施は、今なら、必要以上に買い占めることなく、自分が得られるであろうものを他者に振り分けるということも当てはまります。また、柔和な表情や優しい言葉も、他者に安心を与える布施(無畏施といいます)になり、緊張が高まる世の中に求められていますね。

持戒は、こまめな手洗い、うがい、咳エチケット、免疫を高めるための規則正しい食事・睡眠、常に水分補給を欠かさないということも。

忍辱は、不当な不自由に文句を言うなという意味ではなく、はたして今、不自由・不便に感じていることは、本当にそうなのかと一度立ち止まって考えてみましょうという意味です。

精進は、書いてある通りです。家の中ばかりでやることがないとお嘆きの方も、落ち着いてみればやることが見えてくるかもしれません。奥様の家事の手伝い、お仏壇のお掃除などなど。

禅定は、国民のストレスが総じて高くなっている今、とても大事なことかもしれません。イライラしたり、不安だったり、そんな時にはまずは一息つきましょう。そして、「イライラする!」「コロナが怖い!」と感じていたら、頭の中で「私はイライラしている」「私はコロナを怖がっている」と文章変換してみましょう。すると、「私」と「感情」が切り離されて、心が少しだけ落ち着きます。また、お念仏も心を落ち着けるのにオススメです。

智慧は、テレビなどに一喜一憂しないということでしょうか。基本的に、テレビは不安をあおるのが仕事。買い占めはやめましょうと言っておきながら、空っぽの商品棚をこれでもかと映せば、そりゃ慌てて買いに行くのが人間の心理というもの。「ウィルスは空中に三時間以上、生存する」と報道されましたが、裏を返せば、四時間は生存しないわけです。見せ方ひとつで不安にもなるし、安心にもなるので、冷静に見極めましょう。

コメンテーターも誰が本当のことを言っているのかよく分かりません。話半分に聞き、科学的根拠を求めましょう。そもそも、誰もがこんな事態は初体験なのですから。

こういう状況下では、他人を許せなくなりがちです。ニュースを見れば、「なんで若者は外出してるんだ」と怒りを感じることでしょう。「家に居場所がないのかも」、「一人で家にいる孤独に耐えられないのかも」と少し視点を変えてニュースを見れば、許せるようになることも。

六波羅蜜は、それぞれが独立するものではなく、全てがつながっているものです。どれか一つを心がければ、他の五つも自然と実践できるようになると思います。

とはいえ、私たちは不完全な生き物です。怒りも不安も戸惑いも、ウィルスと同じく、ゼロにはできません。根絶を目標とせず、不安とうまく付き合っていくことを目指して、六波羅蜜をお試しください。

みなさんの日々の生活が、ほんの少しでも穏やかになるよう、お役立ていただければ幸いです。

いつもは寺報「信友」発送後にHPに転載している巻頭文ですが、今回発送がやや遅れておりますので、先にHPに掲載いたしました。)