1月のライフエンディング研究会

1月のライフエンディング研究会を中外日報さんが取り上げてくれました。
この日は、小金井祭典の是枝嗣人社長に、子どもの葬儀のお話をしていただきました。
やはりお子さんの葬儀は悲しみも深く、そうしたなかで、いかに親御さんやご家族に納得のいく見送りをしていただくか、葬儀社さんの工夫や努力がうかがわれるお話でした。

中外日報20170203・10面(LE研)

震災七回忌にあたり

寺報『信友』204号を檀信徒の皆さまに郵送いたしました。巻頭文「震災七回忌にあたり」を転載いたします。なお、『信友』に記しましたが、春の彼岸法要は3月18日におつとめいたします。
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この三月で東日本大震災から七回忌となります。六年が経った今でも、あの日あの頃の記憶が鮮明によみがえる方は多いのではないでしょうか。私もその一人です。
震災から二週間ほど経って、私は岩手県の大槌町に入りました。知人のNPO関係者や僧侶に声をかけられ、お弔いのボランティアに参加したのです。誰にも弔われずに、土葬されるご遺体を少しでも慰めるため、という趣旨でした。
遺体安置所となっているいくつかの体育館をまわり、無数のご遺体を前に僧侶五人で般若心経を唱えました。(曹洞宗の多い地域だから、般若心経に馴染みがあるという話でした)
おそらく、私が死ぬまで、そこで見たこと、嗅いだ匂い、感じた思いは忘れられないことでしょう。
整然と体育館の床に並べられた遺体の多くは、シートや専用の袋にくるまれています。大槌町では津波の後に大火災が発生。そのため、焼け焦げた腕がシートからはみ出してしまっている遺体も見えます。棺に納められた遺体は身元が分かったということなのでしょう。ペットボトルの飲み物やお菓子が供えられています。
特に、思い出される光景があります。安置所の受付には、各遺体の特徴が記されたファイルが置いてありました。もしかすると写真も貼ってあるのかもしれません。家族を探す人は、そのファイルをもとに、該当する遺体がないかを調べるのです。この安置所になければ、他の安置所をまわるのでしょう。私たちがいる、たかだが十分か二十分の間にも、かわるがわるファイルを見に来ては、肩を落として帰っていかれました。
どんな気持ちでファイルをご覧になったのか、今でもわが身におきかえて、想像することがあります。二週間が経っていますから、生存の望みは持てないはずです。とはいえ、ファイルに愛する家族が載っていれば、悲しくないはずはありません。どこかで生きているかもしれないというかすかな希望は消え失せ、死んでしまったという事実を突きつけられることになるのですから。
一方で、一刻でも早く、しっかり棺に入れて、供養してあげたい。姿・形は変わっても、自分たちの元に帰ってきて欲しい。冷たい、苦しい思いをして亡くなったあの人を、あの子を、早く楽にしてあげたい。そんな悲しく、せつない思いが交差していたのではないかと想像します。
亡くなられた方々は、間違いなく阿弥陀さまが救ってくださる、と私は信じています。しかし、あのご家族たちは、その後、どうされたのか、心は安らかになられたか、気がかりでなりません。亡き人を心穏やかに偲べるようになるまでの時間は人それぞれ。衣食住が整い、支えてくれる家族や友達があってこそ、時の流れが心に癒しをもたらしてくれるといいます。
六年の歳月が少しでもご家族の心の安穏につながっていることを心から願います。