本日の彼岸法要

台風一過の好天に恵まれた本日ですが、彼岸法要は14時前後からの開始になります。
(おそらく13時50分くらい?)

YouTubeライブ中継は以下のURLになります。

よろしく醒覚すべし

寺報『信友』227号の巻頭「よろしく醒覚すべし」を転載いたします。
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七月の施餓鬼法要のご報告をしたばかりのような気がしておりましたが、もう秋のお彼岸のご案内の時期になり、慌てて筆を執っております。遅くなり、申し訳ありません。

年齢のせいなのか、最近、時間が経つのがあっという間。恥ずかしながら、「ああ、何もしないまま今日が終わってしまう……」なんていう日もあります。小さい頃は、一日が長く感じられたのですが、親はこんなに短く感じていたのですね。

子供と大人の時間の感じ方が違うのは当たり前といえば、当たり前。生後三か月の息子を見ていて思うのは、この子の人生にとって今日は九十分の一日、ひるがえって四十五歳の私にとっては一万六千四百二十五分の一日。密度も鮮度も違う。早く感じるわけです。

だからといって、大人の私は無為に過ごして良い、というわけではありません。今日という日は私にとっても息子にとっても一分の一日でもあります。

修行道場の朝は、次の警覚偈(きょうかくげ)というお唱えから始まります。

敬白大衆
生死事大
無常迅速
各宜醒覚
慎勿放逸

目覚まし当番の修行僧が、
「敬って大衆に白(もう)す、生死事大(しょうじじだい)、無常迅速、おのおのよろしく醒覚(せいかく)すべし、慎んで放逸することなかれーーー!」
と大きな声で唱えて、柱から吊るされた分厚い木の板を打ち鳴らし、みんなを起こすのです(板にはこの偈文が書かれています)。

二十数年前のもっと寝ていたい私は、この言葉の意味を噛みしめる余裕はなく、ただの苦痛な思い出しかなかったのですが、時間の早さに怖さすら感じるようになると、ぐっと味わえるようになってきました。

「謹んで、みなさんに申し上げます。いかに生き、いかに死を迎えるかは人生の大問題。時間はまたたくまに過ぎ去ってしまいます。
しっかり目を覚ましましょう。無駄に時を過ごすようなことのないように。」

いやぁ、良いことを言っていますね。自分で書いていて、耳が痛くなってきました(笑)

でも、見方をかえれば、毎朝こう言い聞かせないと、怠けてしまうのが人間なんですよね。だから、「このように生きるようにしましょうね」という目標を仏さまが設定してくれているのです。目標があることで、そうできない自分に気づくこともできます。

真面目に考えすぎて、ストレスで寿命を縮めてもいけません。放逸してしまった時には、「今日は無駄に過ごしてしまいましたが、明日は目を覚まして生きます」と気持ちを切り替えれば良いでしょう。

今日という日は、あなたにとって大切な誰かが生きたかった一日でもあります。私の父も母も、今日を生きたかったかもしれません。

亡き人たちの思いを引き継ぎながら、しっかり目を覚まして生きていきましょう。