寺報『信友』226号の巻頭「話すことの効能」を転載いたします。
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母を見送って4ヶ月、荷物の整理やら手続きやら、まだまだやらなければならないことが山積みで、人を送ることの大変さを実感しています。檀信徒のみなさんもこのような苦労をされながら、四十九日や一周忌を迎えられたのだなあと思う今日この頃。
「あんなに明るいお母さまが亡くなられて、お寂しいでしょう」と気にかけていただくのですが、今は、悲しさや苦しさをほとんど感じることなく過ごすことができています。「自分は薄情な人間だったのかな?」と思うほど。
2021年1月に悪性リンパ腫が再発した時点で、ある程度の覚悟をして1年間過ごしたということもプラスに作用しているでしょう。それとともにありがたかったのは、コロナで制限された中でも、親交のあった檀信徒のみなさまにお別れをしていただき、お話をできたこと。
亡くなってから葬儀までの十日間で六十人近い弔問をいただきました。抗がん剤の闘病から在宅介護、看取りにいたるまでの話を何回話したか分かりません。ご弔問の方からは、「何度も同じ話をされているでしょうに、悪いですね」と気遣っていただくことも。しかし、私の話を何人もの方に聞いていただいたおかげで、今、平穏に過ごせているのです。
みなさんに話しながら、そして、慰めの言葉をかけていただきながら、自分のなかで、母の人生と別れを消化していったように思います。闘病は大変だったけれど、母はいい人生だった、私たち家族もできる限りのことはやってあげられたのだと。
誰にも話さず、心に仕舞い込んだままでいるより、誰かに話した方が心は楽になるもの。誰かに話すことで、つらさは半分に、愛しさは倍になるなんてことも言われます。法事や葬儀の後の会食の大きな意義は、亡き人の思い出を語り合うことにあるのだなと再認識する機会にもなりました。早くコロナを気にせずに、会食ができる社会になりますことを祈るばかりです。
普段は僧侶として、死別間もない檀信徒のみなさまを支えているつもりでいましたが、今回の母の逝去では、檀信徒のみなさまに支えていただきました。あらためて御礼申し上げます。この経験を糧として、今後もみなさまと支え、支えられての関係を築いていければ幸いです。