お布施について

法要等でお寺と付き合う時に一番頭を悩ませるのはお布施だと思います。
私も大学は非仏教系の学校でしたし、一般企業で働いていたこともありますので、お布施についてよく尋ねられました。
同時に、お布施がそのまま僧侶の懐に入るという「坊主丸儲け」のイメージが強く持たれていることを痛感することも頻繁にありました。
お布施は僧侶の懐に入るものではなく、仏様からお預かりしている「お寺」といういわば公共空間に対してされるもの。(仏様に対してと言っていいかもしれません)
「喜捨」とも言われるように、「支払う」というものでは本来ありません。
(ただ、趣旨に背くかもしれませんが葬儀などの場合、蓮宝寺では領収書をお出ししています)
法的にも、お布施は宗教法人である寺院にまず収められます。そして、寺院施設の保険、光熱費や修繕費などとともに、従業員である僧侶に経費として給与が支払われるわけで、決して「坊主丸儲け」というわけではありません。(うちのような小さい寺でも維持費がかなりかかります。)

現在の批判には、いろいろな理由があると思います。
「お寺」は公共性が無いところ、僧侶の家族が住む家というイメージが影響しているのかもしれません。
もともとは苦しみに寄り添うはずの僧侶が、一般の方から見て、とてもそうは思えない、贅沢な生活をしているという批判も、お布施批判と表裏をなすものでしょう。
また、僧侶と一般の方とのコミュニケーションが不足していることも、マイナスイメージにつながっているのでしょう。
ご葬儀の時に、知らないお坊さんが来て、何の会話もなく、お経を読んだだけで数十万円のお布施を受け取り、すぐに帰ってしまったという話を耳にしたこともあります。
それでは批判もやむなしと思えてきます。
蓮宝寺では、なるべくそういった誤解を受けないよう、お檀家さんとコミュニケーションを取りたいと思っています。そうすることで、お檀家さんが使われるお寺の施設が良くなったり、僧侶がどんな活動をしてるかを理解してもらう機会も増えるでしょうし、そのことで、「お寺」=「僧侶一家の住居」というイメージが、少しは「お寺」=「みんなのもの」ひいては「仏さまのもの」と変わっていけばと思います。
(小さい寺なので、お寺に住むことはご理解いただければ幸いです。それから、残念ながらそんな贅沢な生活はしたくてもできません^^;)

「お布施はいくら包めばよいでしょうか?」との質問をよく受けます。
お寺によっては定価を設定しているところもあるようですが、蓮宝寺はいまだに「お気持ち」派です。
ある金額が、Aさんにとっては気軽に出せる額でも、Bさんにとってはそれがとても苦しいという場合があるのではと思います。
路上生活をされていた方がお亡くなりになり、支援されていた方・助け合われていた方たちに依頼されて、お布施が無いこともありました。でも、その方たちの供養したいというお気持ちに私も心打たれ、お布施のことなど気になりませんでした。今はほんの少ししかお布施できないけれど、心から亡き人のためにご供養をしたいという方に、「〇〇円じゃないとやれません」とは言えないですよね。
その方が、仏様にお供えしたい額、亡き方への餞別として仏様にお預けしたい額として、気持ちよくお出しいただける額が適正なのではと思うのです。「余裕はあるけど、とにかく安く済ませたい」とも、「この金額を出すととても苦しくなるけど、しかたがない」とも違う、そのご家庭・ご遺族の状況にあった額が「お気持ち」と理解していただければ幸いです。

こんなことを書いてくると、「そんな綺麗事だ」と思われるかもしれませんね。
たしかに正直に経営的に考えれば、多くいただければ大変助かります。ただ、そのことで、お寺を敬遠され、縁遠くなってしまっては本末転倒かなと思ってしまいます。
「いくらくらいが良いか、本当に困っている」と懇願され、「うーん、相場ではこれくらいですかねぇ」とお応えすることも実際はあります。なかなか聖者のようには生きられません、はい。。
(ちなみに彼岸会・施餓鬼会では、一律で回向料4,000円とさせていただいております。)

もしもお困りのことがありましたら、お気軽にご相談ください。曖昧な回答になるかもしれませんが、その点はあらかじめご承知おきください。