最初で最後の旅

寺報『信友』228号の巻頭「最初で最後の旅」を転載いたします。
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この原稿を書いているのは11月27日。ちょうど1年前、私は母と姉と3人で信州を旅していました。

10月の後半、悪性リンパ腫の治療を断念し、在宅緩和ケアに移行すると、思いのほか母は元気になりました。闘病中から、ことあるごとに長野県東御市にある両親の墓参りに行きたいと行っていた母。この調子なら、墓参りに連れていけるのではないかと考えた姉と私は、在宅医療の主治医に相談します。

すると、「行けるうちに早く行った方がいいです。今の状態からよくなることはないですから」との返答。それなら善は急げと、宿を手配。身体に負担がかからないように、レンタカーで大き目の車も手配します。驚いたのは、今は在宅医療の連携が進んでいて、宿泊先に吸引用酸素の機械を設置しておいてくれるんですね。

出発が近くなり、一つ気がかりだったのは、旅の途中でお迎えが来たらどうしようということ。なにせ緩和ケアに移行していますから、いつどうなってもおかしくない状態です。それを主治医に尋ねますと、

「宿でそうなったら医療機関に行かざるをえませんが、もし車の中でそういうことになったら、とにかく家まで帰って来てください。家に帰りたいと切望していたお母さんが、見知らぬ土地の病院で亡くなることになってしまいますから。もし、検問で警察に捕まったら、私に電話をしてください。事情を説明します」と心強い言葉をくれました。

おかげで一泊二日の旅行中に心臓が止まることもなく、温泉にも入ることができ、母も大満足をしてくれました。両親の墓に涙を流しなら手を合わせていた姿が思い出されます。

実は母との旅行は人生で初めてでした。中学受験の日に大雪が降ったため、都内のホテルに一泊したことが唯一の母との外泊で、それ以外に旅行らしい旅行は皆無だったのです。

家族旅行は、いつも父・姉・私の3人。母はいつも留守番でした。訃報の電話がいつかかってくるか分からないので、寺を空けてはならないというのが昔の寺の常識。意地悪な祖母に留守番を頼むのも嫌だったのでしょう。

父の没後、母にも自由が訪れ、姉と年に何回か旅行に出かけるように。一方、妻帯した私は妻とは旅行に行きますが、母と旅行することはありませんでした。

いざ、在宅緩和ケアとなり、母の死を意識せざるを得なくなると、一度も家族旅行をしなかったことが心残りに感じられるようになりました。ずっと一つ屋根の下で暮らし、一緒にいた時間はとても長いのですが、「家族旅行」という、世の中の「当たり前」を、私は経験してみたかったのかもしれません。そして、寺に嫁いだばかりに自由な生活を送れなかった母に、最後に人並みの「家族旅行」を味わって欲しかったのかもしれません。

信州の墓参り旅行は、母の願いをかなえる旅でしたが、私の願いをかなえる旅でもありました。

自分や大事な人の人生の終わりを意識した時にはじめて気づく「願い」というものもあるようです。みなさんの願いはどのようなものでしょうか?