浄土宗

蓮宝寺は浄土宗の教えを旨としています。

法然上人と浄土宗
浄土宗は平安時代から鎌倉時代にかけて活躍された法然上人によって開かれました。
「南無阿弥陀仏」とお称えすれば、この世を去る時、阿弥陀さまが極楽浄土に迎えてくださる。極楽とは、この世の苦しみや迷いの全くない世界。そこで、先だった家族や友と再会ができるという教えです。
法然上人が生きられた時代には、まだ仏教は庶民のものではありませんでした。お寺にたくさん寄進したり、日々の生活に追われずに仏教のお勤めをできる一部の上流階級の人たちしか、仏様の救いの手は届かないとされていました。
しかし、法然上人は、ほとんどの人が救われない教えは、本当に慈悲の教えなのかと悩まれました。この世でこれだけ苦しい思いをしている私たちが、救われる道はないのだろうかと。
そして、比叡山をおり、各地に教えを求め歩き、何年も経典に当たり続けた結果、お浄土の教えに出会われました。ただ「南無阿弥陀仏」とお称えするだけで、わけへだてなく阿弥陀様が救ってくださる。どんなに貧しいものでも、当時、差別を受けていた職業に就いていた人たちでも、阿弥陀様は救ってくださる。
法然上人以前にも念仏の教えは比叡山を中心に人気がありました。それは観想の念仏といって、「南無阿弥陀仏」とお称えはしますが、重点が置かれるのは心のなかで阿弥陀様や極楽の世界を念ずる(観想する)こと。いわば精神統一の修行です。多くの人には行いがたいことですが、当時は、称名念仏(「南無阿弥陀仏」と口に出して称えること)よりも観想念仏の方がレベルが高いものとされていました。それを法然上人は180度転換してしまいました。本当に阿弥陀様が優しさに満ちた仏様であるなら、難しい修行を我々に期待するだろうか、いや、どんな人でも簡単に行える称名念仏こそ第一に与えてくださっているに違いないと。そして、称名念仏を最高の教えとして法然上人は承安5年(1275年)に浄土宗を開かれました。
法然上人の教えは、この世の価値観を逆転するもので、当初は朝廷や比叡山などから迫害を受けましたが、現世での苦しみに向き合わざるを得ない民衆や武士階級に広く浸透し、現在に至っています。

現代人にとっての浄土教
今も、この法然上人の教えは、私たちの生き方に深い内省を促すものと思います。
法然上人は、自分が修行ひとつまともにできない、愚かで弱い存在であると自覚することが肝心だとおっしゃいます。その自覚が芽生えたとき、阿弥陀様に身をお任せする道が開けてくるのです。
私たちは、いつも誰かと自分を比べて、勝っているか、負けているか、金持ちか、貧乏かなどを気にしています。しかし、それは人間のちっぽけなモノサシに過ぎません。仏さまのモノサシからすればみんな大差ありません。いや、人間とほかの動物だって大差ないかもしれません。そう思えば、自分の弱さや愚かさを素直にうけとめ、肩ひじ張らずに生きていくことができるようになるのではないでしょうか。
また、この世は極楽とは逆の世界、苦しみに満ちた世界だとはっきり認識することが大切だともおっしゃいます。
現代の競争社会では、「がんばれ」「努力すれば成功する」「負けるな」と私たちは常に何かにおいかけれています。人が人らしく生きていると言えるでしょうか。頑張り続け休むことが許されない地獄かもしれません。常にお金を気にしないといけない欲に満ちた餓鬼道なのかもしれません。人を追い落とし続けないといけない修羅なのかもしれません。
その時、極楽という世界を心に持つことで、この世のおかしさを少し客観的に見ることができるようになるのではと思います。極楽というと分かりにくいですが、人が人らしく生きられる世界と考えてみてください。病人は病人のまま、老人は老人のまま、健康が最高だ、アンチエインジングだと押しつけられずに生きられる世界と言ってもよいでしょう。もちろんそのような世界を完全に実現することは、この世の中では難しいです。でも、そうしたモノサシを心に持つことで、少しだけ余裕が出てくるような気がするのです。そして、人らしく生きられない現実を直視する時、阿弥陀様への希求も湧いてくるのかなと思います。