父の執念

8月に発行した寺報『信友』の巻頭「父の執念」を転載いたします。
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施餓鬼法要にお参りいただいた皆様にはお話いたしましたが、春先に母に肺ガンが見つかりました。

そもそもは、喉にデキモノができたために、CTスキャンを受けたところ、たまたま肺に小さな影が写ったというもの。ステージ1のAというきわめて初期のものらしく、耳鼻科の医師も「この段階で見つかるのはラッキーですよ」と言うほどです。
とはいうものの、母の頭には「ガン」という言葉しか残っておらず、私や妻が懇切丁寧に説明をしても、「ガン」と「ラッキー」が結びつかない様子です。「この年で手術なんてしたくない、何もしないでいいわ」と落ち込む母に、一つの光明が差し込みます。

肺がんの診察のため、初めて呼吸器外科を受診した日のこと。大学病院で長時間待たされ、やっと「小川さん、診察室にお入りください」と呼ばれました。担当となるT先生は、年のころは五十歳にさしかかるくらいでしょうか。キリっとした目つきにスッキリした輪郭。歌舞伎役者のような顔立ちに、明るさと気さくな雰囲気をまとい、一目で「この人は優秀な先生だろうな」と思わせます。

T先生は分かりやすく病状を説明し、「早期に発見できて良かったですよ、手術は難しくないので一緒に頑張りましょうね」と握手をして励ましてくれました。

帰り道の母の表情は、それまでと一変、「あの先生なら大丈夫そうね」と明るく話します。以後、診察でT先生に会うたびに、信頼も増していきます。やはりイケメンは何事も得をするのですね。僧侶も医師も、見た目が大事だと肝に銘じた次第です。

さて、運命の手術日、七月十八日がやってきました。九時には病室から手術室に移動します。T先生からは三時間ほどで終わるでしょうと伝えられていましたので、半休をとった姉と二人、待合室で待機です。十二時、まだ出てきません。十三時、まだです。十四時、まだです。いったい何があったのだろうかと不安になりますが、緊急事態であればとっくに連絡が来るでしょうし、とにかく待つしかありません。さすがに出勤しなければと姉が待合室を出た矢先、十五時ちょっと前、手術終了の連絡がありました。

T先生からの説明によると、ガンの切除自体は順調に進んだものの、縫合に時間がかかったとのこと。縫ったところから空気が漏れ出し、縫い直せば、違う部分が破れて、空気が漏れる。そこをつまんでは縫ってを繰り返して、こんな時間になってしまったそうです。どうも母の肺の表面組織が弱かったようで、先生からこんな一言が出ました。

「お母さん、タバコ吸っていました?肺にタバコの斑が出てました。」

思わず、姉と顔を見合わせてしまいました。母はおそらく生涯で一服もタバコを口にしたことはありません。ひとつだけ考えられるのは、四十数年、共に暮らした父からの副流煙。

ことの顛末を聞いた私の妻は、「いつまでもお父さんはお母さんに構って欲しい、忘れないでって想いが伝わるね」と笑いました。ヤキモチ焼きの父のことです。イケメンドクターを手こずらせたかったのでしょう。アッパレとは思いませんが、死してなお父の執念を感じた一幕でした。

母の術後の経過は順調で、秋の彼岸会では元気な姿を信友の皆様にお見せできると思います。皆様もこまめな検診を心がけ、副流煙にはお気を付けください。

小さい椅子

彼岸法要や施餓鬼法要では、多くのお参りをいただくため、従来の椅子では本堂に座りきれなくなっておりました。そこで、檀信徒総代様から、小型の木製椅子六十脚のご寄付をいただきました。お尻に合わせた凹みがある椅子で、座りやすくなっています。七月の施餓鬼法要でお披露目となり、皆様にもご好評をいただきました。