黙祷の思い出

寺報『信友』231号の巻頭「黙祷の思い出」を転載いたします。
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猛暑だったり、台風が来たりと、ちょうどいい天気がない夏ですね。みなさん、体調崩されていないでしょうか。

今年は戦後78年、8月15日は78回目の終戦記念日でした。大学院時代、戦前の政治と宗教の研究をしていたこともあり、毎年8月15日には、靖国神社に(参拝ではなく)観察に行っていたのですが、小泉首相や安倍首相が公式参拝しだしたあたりから、静かに追悼する場ではなく、騒々しいキナ臭い場に変わってしまい、行く気が失せてしまった私。いつしか、8月15日は特別な一日ではなく、三百六十五分の一日に変わっていました。

そんなことを思いながら、今年の終戦の日のニュースを見ていて、ふと思ったことがありました。

「我が家はいつから黙祷しなくなったんだろう?」

私が小さい頃の我が家は、8月15日の正午になると、テレビの甲子園中継をつけながら、高校球児とともに、黙祷していたものです。物心ついた頃にはそうするのが当たり前と思っていましたし、おぼろげな記憶では大学生くらいまでは、家族そろって黙祷していました。

黙祷の後には、だいたいこんな話がくりひろげられたものです。

明治39年生まれの祖母は、当時住んでいた浅草の寺が空襲で焼けてしまい、ご本尊をおぶって逃げたこと。

昭和3年生まれの父は、空襲のあとに墨田川の死屍累々をみたこと。神宮外苑の学徒動員の出陣式を見に行ったこと。あと一年戦争が長引いていたら、自分も招集されていたこと。青山墓地でデートをしていたら憲兵に見つかって追いかけられたこと。

昭和13年生まれの母は、近所の神社で出征兵士を見送って、万歳三唱をしたこと。両親の郷里・長野に一家で疎開したこと。空襲・戦災のどさくさに紛れて自宅を奪われないように祖父だけが人形町にとどまったこと。疎開先で澄み渡る青空のもと、みんながラジオの前に呼び出され、玉音放送を聞かされたこと。内容は分からなかったが、大人たちが泣いていたこと。

みんな、このように戦争を体験し、記憶に刻まれているからこそ、終戦の日に黙祷をすることは当たり前だったのでしょう。

今思うと、これは私にとって、間接的な戦争体験だったのかもしれません。戦争を経験していないけれど、直接体験した家族の話から、戦争は嫌だという感覚はしっかり植え付けられたと思います。

しかし、祖母も父も母もこの世を去り、私もいつしか黙祷をしなくなっていました。

昨年末、「徹子の部屋」にタモリさんがゲストに出た際、黒柳徹子さんに「2023年はどんな年になると思います?」と聞かれ、「新しい戦前になるんじゃないでしょうか」と答え、話題になりました。

もう戦争をハッキリ記憶している人は80代半ばになろうとしています。家族からあれだけ戦争体験を聞かされた私も、黙祷を失念してしまっています。そんなことでは、我が子に戦争は嫌だと伝えるのは心もとない。

ロシアのウクライナ侵攻では、双方に10万人ともいわれる死者が出ているのだとか。10万はたんなる数字ではありません。一人ひとりの人生があり、嘆き悲しむ家族がいるはずです。それなのに、テレビではゲームのようにロシアやウクライナの映像を流して、ドローンだミサイルだと解説をしています。私たちもどこか他人事のようです。

戦争の悲惨さを忘れてしまえば、「新しい戦前」はすぐそこにやってくるでしょう。ごく身近に戦争の苦しさを伝えてくれる家族がいたありがたさを、あらためてかみしめ、戦争は嫌だということを、子供たちに伝えていきたいと思った夏でした。