ジュリーと禅

今年2月に発行した寺報『信友』の巻頭「ジュリーと禅」を転載いたします。
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昨年の十月、テレビや雑誌をにぎわせたのが、ジュリーこと沢田研二のドタキャン騒動。みなさまのご記憶にも新しいことでしょう。

定員九千人の会場が七千人しか埋まらないと聞いたジュリーが、約束が違うとヘソを曲げてしまったというお話。会場まで足を運んだ観客の気持ちを考えていない、ファンあっての仕事なのにけしからん等と多くの批判が浴びせられました。それと同時に、変わり果てた、ケンタッキーのおじいさん(カーネル・サンダース)のようなジュリーの風貌も話題になりました。

一方、信友のみなさまからは、ジュリーファンの私の母に対して、ご心配をいただきました。法事にお越しの際に、「お母さん、大丈夫でした?」と口々に尋ねられ、ジュリー好きがこんなにも浸透しているのかと驚きつつ、母の気持ちを案じてくださることをありがたく思ったものです。

母は、幸いにして、当該公演には行っておらず、直接の被害はありませんでした。むしろ、毎日、テレビをつければジュリーが映るので、上機嫌。そして、「こういう頑固なところがジュリーらしいのよ!」とますますジュリー株は上昇していました。

たしかに、コンプライアンスがどうのこうのと厳しく言われ、芸能人も小粒になっている昨今、七千人の客がいても、「俺は歌いたくない」と我を通せる人はそういません。そんなジュリーを見ながら、私はふと禅宗のエピソードを思い浮かべました。

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瑞巌(ずいがん)の彦(げん)和尚、毎日自ら主人公と喚(よ)び、復(ま)た自ら応諾す。乃ち云く、

「惺惺著(せいせいじゃく)、喏(だく)。他時異日(たじいじつ)、人の瞞(まん)を受くること莫(な)かれ、喏喏(だくだく)」

(訳)師彦和尚はいつも庭前の石上に坐り、大声をあげて自問自答します。

「主人公よ」、「ハイ」。「目をさましているのか!主人公がお留守になっていないか!」、「他人のうわさ話を気にするな!主人公を見失うなよ!」、「ハイハイ」

http://www.rinnou.net/cont_04/zengo/070701.html
(臨済宗・黄檗宗の公式サイトより)
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このエピソードは「主人公」という言葉の由来とされています。今は主役のように用いられる「主人公」ですが、ここでは、本当の自分、主体的な自分という意味。つまり、常に自分自身に「目を覚ましているか?」、「周囲に振り回されていないか?」と問い続けることが大事なんですね。

禅の境地とは、世の中の常識や価値観に振り回されず、自分で自分の人生を歩み切るというもの。私は、ジュリーのドタキャン騒動に、周囲におもねらない「主人公」の姿を見たのでしょう。

それにひきかえ、私たちは、常識や世間体を気にして、物事を考えてしまいがち。窮屈に思いながらも、そうせざるをえないのが私たちの哀しい性(さが)。世の中のジュリー叩きも、どこかに、「そんな風に自分を譲らないで生きてみたいよ」という羨望のまなざしが混じっていたのかもしれません。

ジュリーのようにはいきませんが、私たちも自分の人生の「主人公」として、自問自答しながら生きてみたいものですね。

ちなみに、ジュリー騒動の母なりの結論は、

「あんな頑固な男とは結婚できないわね。」

母はしっかり主人公として生きているようです。

祖母の涙

昨年12月に発行した寺報『信友』の巻頭「祖母の涙」を転載いたします。
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平成31年4月末日をもって、「平成」が終了するそうです。次の元号は分かりませんが、来年5月以降に生まれる子たちからすれば、昭和52年生まれの私も、はるか遠い「昭和時代のおじさん」ということになるのでしょうか。

昭和64年1月7日、昭和天皇が崩御された時、私は小学校5年生の冬休みでした。

前年の暮れから、昭和天皇の容体悪化にともなって、世の中は「自粛」ムード。一方、私はというと、ニュースを見ながら、「下血ってどういうこと?」と父親に尋ねたことを思い出します。父も「今日はかなりの下血だな」などと、他人事のような口ぶり。それくらい、我が家ではのんきに傍観していたものです。

新年を迎え、三が日を過ぎた頃から、風邪を引いてしまった私。結構な高熱でフーフー言っておりました。

近所の医院の診察開始が1月7日ということで、その日は朝一番で母と出かけました。診察が終わって会計を待っている間、患者さんと院長夫人の会話が聞こえてきます。

「今日で昭和も終わりだから……」

テレビをつけないまま家を出てきた母と私は目を見合わせて、

「あれ?」

会計を済ませ、一目散に帰宅しました。

そして、家に戻って見た光景は30年経った今でも忘れられません。

テレビを観ながら、父と祖母が涙を流していたのです。あれだけ下血だなんだと冷やかしていた父。政治のことなど口にしたこともなかったノンポリの祖母。特に、祖母は祖父が亡くなった時も泣いていた記憶がないほど、涙と縁遠い人でしたので、とても戸惑いを覚えました。

「え?なんで泣いているの?そんなに悲しいの?たいして敬ってなかったじゃないさ」と思いつつ、ここは何も言わない方が良さそうだと斟酌した私ですが、大人になり、歴史をかじるようになり、また、父と酒を酌み交わして昔話を聞くようになって、あの光景が腑に落ちるようになってきました。

昭和3年に生まれた父にとって、昭和20年まで天皇は神様であり、青春時代を昭和天皇のために捧げたようなものでした。祖母も、祖父が浅草の寺の住職をつとめていた時代に東京大空襲に遭い、火の海の中、ご本尊をおんぶして逃げ出したといいます。しかし、時代に翻弄され、戦争で散々な目に遭いつつも、昭和天皇に対する感情は憎しみとはなりえなかったようです。

父はよく「今の陛下は戦争を知らないから、どうも認める気持ちが起きない。昭和天皇が俺にとっての最後の天皇なんだ」と口にしていました。戦争、敗戦、復興という苦難の時代を共に生き抜いてきたという思いが、恩讐を超えて、父や祖母の涙に込められていたのもしれません。まさに象徴だったのでしょう。

平成の御代は幸いにして戦争はないものの、阪神大震災、東日本大震災、その他、大規模な自然災害が続発、景気も下降し続けた時代でした。今上陛下もまた、苦難の時代を国民とともに生きる姿を示してこられたように感じます。

次の御代はどのような時代になるか想像もつきませんが、「俺は戦争や大災害を天皇陛下と共に生き抜いたんだ」と涙を流す必要のない平和な時代になることを切に祈ります。

父の執念

8月に発行した寺報『信友』の巻頭「父の執念」を転載いたします。
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施餓鬼法要にお参りいただいた皆様にはお話いたしましたが、春先に母に肺ガンが見つかりました。

そもそもは、喉にデキモノができたために、CTスキャンを受けたところ、たまたま肺に小さな影が写ったというもの。ステージ1のAというきわめて初期のものらしく、耳鼻科の医師も「この段階で見つかるのはラッキーですよ」と言うほどです。
とはいうものの、母の頭には「ガン」という言葉しか残っておらず、私や妻が懇切丁寧に説明をしても、「ガン」と「ラッキー」が結びつかない様子です。「この年で手術なんてしたくない、何もしないでいいわ」と落ち込む母に、一つの光明が差し込みます。

肺がんの診察のため、初めて呼吸器外科を受診した日のこと。大学病院で長時間待たされ、やっと「小川さん、診察室にお入りください」と呼ばれました。担当となるT先生は、年のころは五十歳にさしかかるくらいでしょうか。キリっとした目つきにスッキリした輪郭。歌舞伎役者のような顔立ちに、明るさと気さくな雰囲気をまとい、一目で「この人は優秀な先生だろうな」と思わせます。

T先生は分かりやすく病状を説明し、「早期に発見できて良かったですよ、手術は難しくないので一緒に頑張りましょうね」と握手をして励ましてくれました。

帰り道の母の表情は、それまでと一変、「あの先生なら大丈夫そうね」と明るく話します。以後、診察でT先生に会うたびに、信頼も増していきます。やはりイケメンは何事も得をするのですね。僧侶も医師も、見た目が大事だと肝に銘じた次第です。

さて、運命の手術日、七月十八日がやってきました。九時には病室から手術室に移動します。T先生からは三時間ほどで終わるでしょうと伝えられていましたので、半休をとった姉と二人、待合室で待機です。十二時、まだ出てきません。十三時、まだです。十四時、まだです。いったい何があったのだろうかと不安になりますが、緊急事態であればとっくに連絡が来るでしょうし、とにかく待つしかありません。さすがに出勤しなければと姉が待合室を出た矢先、十五時ちょっと前、手術終了の連絡がありました。

T先生からの説明によると、ガンの切除自体は順調に進んだものの、縫合に時間がかかったとのこと。縫ったところから空気が漏れ出し、縫い直せば、違う部分が破れて、空気が漏れる。そこをつまんでは縫ってを繰り返して、こんな時間になってしまったそうです。どうも母の肺の表面組織が弱かったようで、先生からこんな一言が出ました。

「お母さん、タバコ吸っていました?肺にタバコの斑が出てました。」

思わず、姉と顔を見合わせてしまいました。母はおそらく生涯で一服もタバコを口にしたことはありません。ひとつだけ考えられるのは、四十数年、共に暮らした父からの副流煙。

ことの顛末を聞いた私の妻は、「いつまでもお父さんはお母さんに構って欲しい、忘れないでって想いが伝わるね」と笑いました。ヤキモチ焼きの父のことです。イケメンドクターを手こずらせたかったのでしょう。アッパレとは思いませんが、死してなお父の執念を感じた一幕でした。

母の術後の経過は順調で、秋の彼岸会では元気な姿を信友の皆様にお見せできると思います。皆様もこまめな検診を心がけ、副流煙にはお気を付けください。

小さい椅子

彼岸法要や施餓鬼法要では、多くのお参りをいただくため、従来の椅子では本堂に座りきれなくなっておりました。そこで、檀信徒総代様から、小型の木製椅子六十脚のご寄付をいただきました。お尻に合わせた凹みがある椅子で、座りやすくなっています。七月の施餓鬼法要でお披露目となり、皆様にもご好評をいただきました。

秋のお彼岸

更新が滞ってしまい、申し訳ございません。
お知らせしたいことや報告することはいろいろとあるのですが、なかなか余裕がなく…。
とりいそぎ秋の彼岸法要の日程のみお伝えいたします。
9月22日(土)でございます。
三連休の彼岸中日の前日ということで、多磨霊園周辺も混雑が予想されますが、ご了承ください。

なお、寺嫁日記の方はこまめな更新を行っておりますので、そちらもご覧ください。

屋根張替完了

4月の中旬から、2階部分の屋根の張替工事を行っておりました。
本堂の床が外側に向かって、やや傾斜をしていたり、客間の障子が開けにくくなったりしていて、大工さんに相談したところ、屋根瓦の重さが大きな原因と考えられるとのこと。
瓦はお寺らしさを出してくれますが、二階の屋根はあまり見えませんし、背に腹は代えられません。これを機に軽量の屋根に張り替えることにいたしました。
おかげさまで5月中旬に完了いたしました。

お寺はサービス業?

今年の5月に発行した寺報『信友』の巻頭「お寺はサービス業?」を転載いたします。
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春のお彼岸も過ぎた頃でしたか、後輩の僧侶二人と話をしていて、考えさせられたことがありました。

二人のうち、A君は浄土宗、B君は浄土真宗。いずれも山手線の内側にある、立派なお寺を預かる身です。

まず、A君。彼のお寺に墓所がある檀家さんが、「よそで葬儀をしてきたから、戒名をつけて、埋葬させてくれ」と言ってきたのだそうです。

それだけなら、突然の出来事に菩提寺に連絡を取る暇もなく、いわゆる直葬という形を取ってしまったのかもしれません。たまに耳にするお話です。

しかし、聞けば、その檀家さん、二回目なのです。以前にも、安く済ませたいからなのか、信仰心がないからのか、もうお骨にしてしまった後で、埋葬したいとお寺に連絡が。A君は、「お寺の墓地に埋葬できるのは、住職が戒名を授けて、引導を渡した方に限ります」と答えて、四十九日法要の際に戒名を授け、引導を渡して、納骨にたどり着きました。

僧侶側からすると、住職が日々、守っているお墓なのだから、ちゃんと信仰に基づく葬儀を行って埋葬してほしいと思うもの。つまり、一回目は救済措置だったわけです。

ところが、その檀家さんには真意は伝わらず、戒名も引導も埋葬に必要な手続き程度の認識だったのでしょう。二回目も全く悪びれることなく、唐突にお寺を訪ねてきたという次第。お骨の行方を思えばむげに断るわけにもいかず、信仰心は無いであろうその家族にどう理解してもらえばよいか、頭を抱えていました。

さらに悲しいことに、そのお家は古い檀家さんとのこと。世代を経る中で感覚が変わってしまったのでしょうか……。

続いてB君。ある日、墓参に来た家族の一人にこう尋ねられました。

「ここ、ジュースの自動販売機、無いんですか?」

B君が「無料のウォーターサーバーならありますが、自販機はありません」と答えると、その方は家族に向かって、「自販機も無いんだってよ」とあきれたように言ったそうです。B君は「あきれるのはこっちですよ」とぼやいていました。

幸い、私はそのような経験はまだありませんが、どうしてそういう事態が起こるのでしょう。A君もB君も真面目な僧侶です。怠けているからとは思えません。

一つには「お墓ありき」の問題がありそうです。檀家さんの側には、寺・僧侶と関係を築いているという意識が薄く、まず「お墓ありき」なので、住職を霊園の管理人程度に考えてしまっている節がある。だから、霊園の休憩所に自販機があるのは当たり前、「なんでこの寺にはないんだ?」と不満が生まれてしまうのでしょう。

それに加えて、意識がお墓で止まってしまうので、葬儀や法事の意味にも関心がわかないのかもしれません。意味が分からなければ、やる気も起きない、信仰のきっかけも作れないという悪循環です。

A君は「寺をサービス業と思っている人が増えている」と嘆きます。「管理費を出してるんだから、それに見合うサービスを」という感覚で「納骨させろ」と言ってくる。「寺は究極のサービス業」と言うことがありますが、それは人生での苦しい時、悲しい時に心と心を触れ合わせるという意味でのこと。お金の対価としてサービスを提供するサービス業とは一線を画すものです。(もちろん、サービス業に従事されている方は、対価以上の無形のサービスを提供しようと努力されていることは承知しておりますが。)

二人の話を聞きながら、蓮宝寺はお墓が無くて良かったと思いました。お墓が唯一の接点となれば、A君・B君のような問題がいずれ生じる可能性があります。蓮宝寺の場合、多くの信友のみなさんは多磨霊園に墓所があることがきっかけで蓮宝寺と縁を結ばれているとはいえ、私に嫌気が指したら、無理に付き合う必要はなくなります。こちらには、つなぎとめるすべがありません。これはこれで、とても怖い話ですので、なるべく考えたくはありませんが……。

それでは、蓮宝寺を成り立たせてきたのは何だったのだろうと考えますと、人と人、心と心の付き合いです。こんな財産があるでしょうか。墓地も境内も立派な伽藍もない寺ではありますが、大寺院に負けない無形の宝物があることに気付かされます。

究極のサービス業として、これからも信友のみなさまと心を通わせていきたいと肝に銘じた後輩との会話でした。

禁煙にご協力を

愛煙家の先代住職は客間での喫煙をOKしておりました。
先代の遺志を継いだわけでもありませんが、代替わりして以降、私も特に禁じてはおりませんでした。
しかし、社会意識の変化、また、客間に換気機能も備えておりませんので、今後は建物内での喫煙をご遠慮いただきたくお願いを申し上げます。
玄関先や駐車場での喫煙を妨げるものではございませんが、吸い殻はお持ち帰りくださいませ。