お葉書

ある方より励ましのお葉書をいただきました。
過日アップしました東京教区の法話のページをご覧になられ、この蓮宝寺のホームページもお読みいただいたようです。
菩提寺との関係に悩まれているようですが、詳細は書かれておりません。
しかし、お寺や仏教を大事に思われているからこその深い悩みなのだろうことが、文面から伝わってまいりました。
いずれにせよ、「ホームページ見たよ!」といった反響がほとんどないため、大変、励みとなりました。ありがとうございます。
差出人のお名前がありませんでしたので、こちらに記させていただきました。

震災七回忌にあたり

寺報『信友』204号を檀信徒の皆さまに郵送いたしました。巻頭文「震災七回忌にあたり」を転載いたします。なお、『信友』に記しましたが、春の彼岸法要は3月18日におつとめいたします。
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この三月で東日本大震災から七回忌となります。六年が経った今でも、あの日あの頃の記憶が鮮明によみがえる方は多いのではないでしょうか。私もその一人です。
震災から二週間ほど経って、私は岩手県の大槌町に入りました。知人のNPO関係者や僧侶に声をかけられ、お弔いのボランティアに参加したのです。誰にも弔われずに、土葬されるご遺体を少しでも慰めるため、という趣旨でした。
遺体安置所となっているいくつかの体育館をまわり、無数のご遺体を前に僧侶五人で般若心経を唱えました。(曹洞宗の多い地域だから、般若心経に馴染みがあるという話でした)
おそらく、私が死ぬまで、そこで見たこと、嗅いだ匂い、感じた思いは忘れられないことでしょう。
整然と体育館の床に並べられた遺体の多くは、シートや専用の袋にくるまれています。大槌町では津波の後に大火災が発生。そのため、焼け焦げた腕がシートからはみ出してしまっている遺体も見えます。棺に納められた遺体は身元が分かったということなのでしょう。ペットボトルの飲み物やお菓子が供えられています。
特に、思い出される光景があります。安置所の受付には、各遺体の特徴が記されたファイルが置いてありました。もしかすると写真も貼ってあるのかもしれません。家族を探す人は、そのファイルをもとに、該当する遺体がないかを調べるのです。この安置所になければ、他の安置所をまわるのでしょう。私たちがいる、たかだが十分か二十分の間にも、かわるがわるファイルを見に来ては、肩を落として帰っていかれました。
どんな気持ちでファイルをご覧になったのか、今でもわが身におきかえて、想像することがあります。二週間が経っていますから、生存の望みは持てないはずです。とはいえ、ファイルに愛する家族が載っていれば、悲しくないはずはありません。どこかで生きているかもしれないというかすかな希望は消え失せ、死んでしまったという事実を突きつけられることになるのですから。
一方で、一刻でも早く、しっかり棺に入れて、供養してあげたい。姿・形は変わっても、自分たちの元に帰ってきて欲しい。冷たい、苦しい思いをして亡くなったあの人を、あの子を、早く楽にしてあげたい。そんな悲しく、せつない思いが交差していたのではないかと想像します。
亡くなられた方々は、間違いなく阿弥陀さまが救ってくださる、と私は信じています。しかし、あのご家族たちは、その後、どうされたのか、心は安らかになられたか、気がかりでなりません。亡き人を心穏やかに偲べるようになるまでの時間は人それぞれ。衣食住が整い、支えてくれる家族や友達があってこそ、時の流れが心に癒しをもたらしてくれるといいます。
六年の歳月が少しでもご家族の心の安穏につながっていることを心から願います。

最後の仕事

寺報『信友』203号を檀信徒の皆さまに郵送いたしました。巻頭文「最後の仕事」を転載いたします。
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早いもので、間もなく父が遷化して、一年が経とうとしています。
昨年十二月十四日の早朝に父は息を引き取りました。私、その日の昼に大学で仕事が入っていました。それは、お寺の奥さんたちにグリーフケアについて話すというもの。
グリーフケアというのは、喪失の悲嘆、特に死別の悲しみをケアすることをいいます。ピンチヒッターを誰かにお願いしようかと思いつつも、母も姉も、「お父さんだったら、仕事に行ってきなさいと言うはずだから」と背中を押してくれたので、出勤と相成りました。
「実は今朝、父が亡くなりまして……」なんて言うと、皆さんが動揺してしまうだろうと思って、何も言わずに淡々と話します。「亡くなってしばらくは、その人がもういないという現実になかなか馴染めないものです」とか、「喪失感は心身にいろいろな形で表れてきます」などと講義するわけですが、妙な気分になったことを覚えています。なにせ、一番の当事者が私なのですから。
現実感がないというか、数時間前に父親が亡くなった私、葬儀の準備や連絡を早くしないといけない私、死別の悲しみについて講義している私、それらがバラバラで夢の中を漂っているような感じでした。
その三日後の十七日、再び大学で仕事です。オープンカレッジ(一般の人向けの講座)で「葬儀・葬送の基礎知識」の講義を、通夜を翌日に控えた私がするという、これまた悪い冗談のような仕事。しかし、その頃は無感情で、ただただ無我夢中、目の前に山積みになった、やらなければならないことをひたすら片付ける、そんな毎日でした。
密葬が終わっても、ひと息つく暇もなく、二月の本葬の準備です。不思議なことに、ふりかえると一月、二月の記憶が結構抜けています。たとえば、夏頃になって、「あっ!税務署に出す法定調書、忘れてた!」と大慌てしたものの、調べるとちゃんと出しているのです。だけれども全く記憶にありません。記憶力が低下していたのか、機械のように働いていたのか、我ながら、よくやっていたなと思います。
やっと本葬が終わり、今度は気が抜けたのか、3月から5月くらいまではずっと体調不良。風邪→胃腸炎→一週間の健康→再び胃腸炎→風邪、そんな日々でした。
秋の彼岸くらいになると段々生活にも慣れてきて、父のことをゆっくり思うことも出てきました。親父だったらきっとこう言うだろう、こう思ってくれるだろうと、思い出を頼りに想像します。ああ、これが亡き人と会話をする、偲ぶということなんだなとあらためて実感しています。
こうして一年を綴ってきましたが、これ、全部、私が十二月十四日に話していたことなんですね。無感覚、記憶力の低下、体調不良、故人との語らい。家族と死別をした人によくあらわれる過程なのです。今までどこか他人事として話していたことが、我が事となった一年だったのかもしれません。
死んでいくということは子どもへの親の最後の仕事とも言いますが、父もまた死によって私に多くのことを教えてくれたようです。

アシナガおばさん

8月にお出ししました寺報『信友』の巻頭文を掲載いたします。

以前、お寺の前の駐車場にプレハブの二階建てが建っていたことを覚えていらっしゃる方も多いことでしょう。
建てられたのは私が九歳の頃。当初、父と姉と私が寝ていたプレハブも、姉が一人暮らしを始め、父は寺に移り、最後は私と猫の二人暮らしとなりました。
今から五年ほど前の初夏の日、目が覚めると窓ガラスとカーテンの間から羽音が聞こえます。ハエかなと思って見てみると、たいそう立派なアシナガバチです。それも三匹。腰を抜かして、殺虫剤で退治してしまいました。(南無阿弥陀佛)どこから入ってきたのか調べましたが、分かりません。そして、翌朝、再び羽音が聞こえ、またも数匹のアシナガバチがいます。今度は窓を開けて、逃がしてあげます。まさかもう出ないだろうと思った翌日、やっぱりいます。これが一か月くらい続きました。家のどこかに巣があるのか調べてみても、みつかりません。どこから出てくるのか、どこから入ってきているのか、全く不明。カーテンがハチを産んでいるのではないかとさえ思えてきます。
でも、不思議なもので、毎日のように続くと、慣れてきて、怖くなってきます。ネットで調べると、滅多なことでは刺さないおとなしい性質とのこと。外に出ようと必死で窓にぶつかるアシナガバチがかわいく思えてきたりもして。
翌年の初夏、再びカーテンがアシナガバチを産みだします。アシナガバチが戻ってきたと少しうれしくなっている私がいました。しかし、これを聞いた両親は、すでに床がいたるところで抜けていたプレハブの限界が来たと決断、立て替えることに相成りました。
昨年の夏、お寺の庭を眺めていると、アシナガバチが数匹飛んでいます。その行方を追うと、二階の軒先に巣を作っているではありませんか。カーテンが産んだアシナガバチか分かりませんが、なんとなくそんな気がして、巣に殺虫剤をかけようとする母を制止して、「アシナガバチは毛虫をつかまえてくれるから、庭木の味方なんだ。巣に近づかなければ刺されることはない」と命乞いをしました。納得のいかない母でしたが、次第にかわいく思えてきたのか、やがて秋も深まってくると、壁の隅っこに数十匹で固まって寒さをしのいでいるハチ達に憐憫の情まで抱くようになっていきました。
今年は待てども待てども、あらわれません。どこか近くに引っ越しでもしたのかしらと、寂しげにアシナガおばさん(おばあさん?)がつぶやきます。全ては移ろいゆくとはお釈迦さまの最後の言葉。人の気持ちも移ろいやすいものですね。

あらためまして

寺報をやっと檀信徒の皆様にお送りすることができました。以下に転載いたします。
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春の彼岸法要におまいりいただいた方々にはお伝えいたしましたが、三月七日に浄土宗から私への住職就任の任命書が届きました。その後、法務局への登記(住職は宗教法人の代表役員なので)を済ませまして、法的にも蓮宝寺第三世の住職となりました。はなはだ浅学菲才の身ではございますが、何卒、よろしくお願い申し上げます。
住職を引き継いでみて、重い責任をあらためて感じます。登記簿によれば、蓮宝寺が法人として成立したのは昭和三十四年。きわめて歴史の浅いお寺です。お墓もありませんし、一般的なお寺に比べると、大きさは勝負になりません。お寺同士の会話でも、同じ業界とは思えないこともしばしば。お寺も格差社会のようです。
しかし、それだけに、今まで蓮宝寺を守ってきた先人の思いに頭が垂れます。ゼロから立ち上げた祖父、兼業をしながら維持・発展させてきた父、そして、この小寺を支えてきてくださった信友のみなさん。私が小さいころからお世話になり、すでにお浄土に旅立たれたお檀家さんの数々のお顔が瞼に浮かびます。歴史が浅く、規模も小さい分、守り支えてくださった一人ひとりの思いが近くに感じられるのです。
私の代になってしりすぼみになっては、申し訳が立ちません。思いを受け継ぎながら、蓮宝寺を発展していかなければと気を引き締めています。
お寺をめぐる環境が厳しくなっていることは事実です。インターネットでお坊さんを注文できる時代です。お葬式もどんどん簡略化されています。でも、ここが踏ん張りどころ、お葬式や法事を形骸化させず、しっかりと意味のあることとお伝えして、お勤めすることが、菩提寺の住職の第一のつとめなのだと思います。
これからの日本は、これまで経験したことのない超高齢社会、多死社会をむかえます。お寺の果たすべき役割が、多岐にわたって求められる時代になるでしょう。信友のみなさんのご期待、ご要望に応えられるお寺になるよう精進してまいります。

葬祭のマナー?

冠婚葬祭のマナーに関する本はたくさんありますが、遺族にかける言葉に触れている本はどれくらいあるのでしょう。
先日、自死遺族の方とお寺でお茶をしていて、葬儀の際に「あなたがお母さんを支えてあげてね」という言葉がどれほど無神経な言葉に思えたかという話になりました。
「だったら、あなたが支えてください」、「私はつらくないと思っているのですか?」という気持ちになり、受け入れられなかったそうです。
こうした話は、他のご遺族からも聞くことがあります。
たとえば、小さいお子さんを亡くした方で、他にきょうだいがいる場合などに、「まだ○○ちゃんがいてくれて良かったね」と言われても、死別後まもない葬儀のタイミングで、わが子を亡くした悲しみが薄まるはずはないですよね。
おそらく、なんと言葉をかけて良いか分からず、何かプラス材料を探し出して言葉掛けすることが遺族にとって良いのだと思ってのことなのでしょうが、一方で、それは、遺族の悲しみを受け止める覚悟がない、直視したくないという気持ちのあらわれとも言えます。
善意のつもりでも、遺族の気持ちを逆撫でするようでは善意とは言えません。
そのご遺族は「余計なことはいわなくていいから、ただ「大変でしたね」でいいんですよ」とおっしゃっていました。
(私ももしかしたら葬儀の席で、無神経な言葉をかけているのではないかと不安になりましたが)
マナーとは相手への配慮といってもよいでしょう。、
服装や香典の包み方などの形だけでなく、どんな言葉をかけたらよいのか、相手の心情への配慮というマナーのもっとも重要な部分を、多くの人が自然におこなえる世の中になりますよう、私も微力ながら精進したいと思います。

お坊さんと話す機会

最近は、僧職系男子に癒されたいといった人が増えていると耳にします。
お坊さんと交流するイベントやお寺で開催されるカフェも盛況のようです。
菩提寺がない方はそういうところに行くしか僧侶と触れる機会がないのかもしれませんが、もし菩提寺とお付き合いがあるなら、わざわざそういうところに行かないで、菩提寺の和尚さんと飲みにでも行けばいいのになと思ってしまいます。
お坊さんの恰好をして、一般人/僧侶の線引きが明確な状況では、僧侶は、ある意味、武装していると言えますし、外見を装おうことで自分を守っているとも言えます。
意地悪な見方をすれば、「僧侶」という殻をかぶって、自分をさらけださなくて済むとも言えるかもしれません。
(参加する一般の方も、「僧侶」というあるべき姿・理想像を求めているとしたら、それで良いのかもしれませんが。)
その点、飲みにいけば、鎧を外した状態ですから、その僧侶個人の人間性が見えてくる。外面を装っているだけなのか、中身も僧侶らしい何かを持っているのか、持っていなくても人間的に面白い人なのか否か、、、
いつもは真面目な法話しかしない和尚さんが飲んでみたら意外と人間らしい人だったという発見が待っているかもしれません。
数年に一度の法事の時だけの付き合いではお互いによく分かりあえるわけはないわけで、たまに飲んで本音で話すことが、ひょっとすると良い法事・良い葬儀につながっていくのではないかと睨んでいます。
(ちなみに私も檀家さんと飲みに行くことがございます。問い合わせフォームからお気軽にお声掛けください(笑))

先月の大雪

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先月は多磨霊園も大雪が降り、今までに見たことのないような光景が広がりました。
膝くらいの深さまで雪が積り、雪の白さでほのかに明るさを漂わせた静まり返った多磨霊園です。

ずれる妙味

3月2日に竹橋にある学術総合センターにて開催された厚労省科研パネル討論会「自殺総合対策に必要な融合的研究:その現状と今後」に参加してまいりました。
統計学、保健学、経済学、宗教学、リスクシステム情報学など、さまざまな分野の専門家からの発表があり、私の理解力を超えた難解なものから、なるほどと得心できるものまで、お腹いっぱいならぬ頭いっぱいの討論会でした。
質疑応答は時間がなく、質問用紙からパネリストが抜粋して答えるという形式でしたが、そのなかに、宗教者もがんばっているのに自殺対策のメインストリームに出てこないのはなぜかという質問がありました。
正直なところ、私にはあまりピンと来ない質問でした。
一つには全国の宗教者のうち、どれくらいの割合の人ががんばっているのかということ。
(がんばるという言葉は好きじゃないのですが、とりあえず使ってみます)
一部の積極的に取り組んでいる宗教者を見て、全国の宗教者がメインストリームに出るべきだというのは、危険な気がするのです。
もう一つには、「治すぞ!」「減らすぞ!」「防ぐぞ!」という方向が「自殺対策」の基本姿勢だと思うのですが、僧侶が相談活動をするのはそこと少しずれるのではないかということ。
「治っても治らなくてもいい」「防げないのも仕方がない」というと極端かもしれませんが、常識や社会的価値・規範とは異なる姿勢、ある種の「緩さ」が、僧侶ならではの持ち味な気がしますし、相談をしてこられる方も、ガッチリ方向付けがされた「自殺対策」にはない、世の中とはちょっととずれている世界観に居心地の良さを感じてくれているのかしらと思うことがあります。