閉塞感ただよう今

5月には緊急事態宣言を受け、『信友』も臨時号を発行して、コロナの不安との付き合い方をお伝えしました。あの頃は、年末にはホッとできているのではないかという一抹の淡い期待がありました。しかし、現実には今もなお拡大するコロナ禍に、疲れ切ってしまいますね。

そんな先行きの見えない世相を反映してか、夏から自ら命を絶たれる方の数が前年と比べて増加の一途をたどっています。著名人の自死が相次ぎ、心が沈んだ方もいらっしゃるでしょう。

かれこれ13年ほど、「自死・自殺に向き合う僧侶の会」で死にたいという方々の相談を受けていますが、みなさん、死ぬことばかり考えているわけではありません。生きることも真剣に考えています。「本当は生きていたいけれど、生きていけないほどつらい」、「死んで楽になりたいけど、死んではダメと踏ん張っています」と、「生きたい」と「死にたい」のはざまで思い悩んでいらっしゃいます。

学生に自死について授業をすることがあります。そこで伝えたいことは主に二点。

一つには、自死で亡くなった方に偏見を持たないで欲しいということ。自死は命を粗末にしているわけでなく、死の瞬間まで、真剣に悩んだのだ。精一杯生き切ったのだと思ってもらいたい。よく自死をした人は成仏できないと言われますが、少なくとも浄土宗ではそのようなことはありません。阿弥陀様は亡くなり方で差別することなく、救ってくださいます。

もう一つは、自分自身が死にたいと思うほど悩んだ時に、抜けだせる強さ。この強さは、腕力や精神力ではありません。人に頼れる強さ、相談できる強さです。みんな弱いんだから、頑張らなくてもいいじゃない、どんどん人に頼りましょうよ、と。自分の弱さを認められる強さと言ってもいいでしょう。思い悩むことの多い若者だからこそ、この二つを身に着けて欲しいと願っています。

コロナ禍の苦しさの中で自ら命を絶った方々に阿弥陀様の救いがありますように。

今、思い悩んでいる方々が誰かに頼ることで、一歩進めますように。

そして、信友のみなさまが心穏やかに年末年始を過ごせますようにと祈ります。