昨年暮れのブログで本堂の床修繕のご報告をしましたが、水屋のリフォームも完了いたしました。
使用していなかった水屋を本棚スペースにリフォームし、仏教書や幼児用絵本を配架しております。

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また、これらの工事をしてくださった工務店さんが立派なスロープを作ってくださいました。臨時用に依頼したのですが、あまりに立派なので常設することにいたしました(笑)

昨年暮れのブログで本堂の床修繕のご報告をしましたが、水屋のリフォームも完了いたしました。
使用していなかった水屋を本棚スペースにリフォームし、仏教書や幼児用絵本を配架しております。

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また、これらの工事をしてくださった工務店さんが立派なスロープを作ってくださいました。臨時用に依頼したのですが、あまりに立派なので常設することにいたしました(笑)

寺報『信友』241号の巻頭「中道とは?」を転載いたします。
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この原稿を書いているのは二月四日。今週末には衆議院選挙が行われます。
今回の選挙、中道改革連合の結成に驚いた方も多いでしょう。私も、あの政党の支持母体の某教団とあちらの政党を支援している某教団は仲が悪いのに……などとミーハー目線で眺めておりました。
さて、今号巻頭は政党名になった「中道」についてのお話。これはもともと仏教の言葉なのです。
『仏教辞典』で「中道」を引くと、「相互に矛盾対立する二つの極端な立場のどちらからも離れた自由な立場」と書かれています。
仏教をひらかれたお釈迦様は王族の生まれで王子様として育ちました。お妃もいて非常に驕奢な生活をされていたといいます。しかし、人生の苦悩を抱え、29歳で出家。断食や不眠など自分の身体を痛めつけるような苦行にのめりこんでいきました。
ある時、インドの民謡が聞こえてきます。
琵琶の弦、きりりと締めればぷっつり切れて、さりとて、緩めりゃべろんべろん
これを耳にしたお釈迦様は、苦行は弦を締め上げた状態、王子としての生活は弦を緩めた状態なのだと気が付き苦行をやめたそうです。
苦行主義と快楽主義、この両極端な立場を捨て、程よい張り具合で良い音を奏でる琵琶のように、適度な修行(瞑想)を選んだお釈迦様は35歳でついに悟りを得ました。
ここから生まれた言葉が「中道」ですが、どちらにも立たずに折衷案や中間を選ぶというわけではありません。辞典にあるように「離れる」ことが大事。
私たちはつい「こうしなければならない」「こうあるべきだ」と一つの立場に固執して、どんどん視野が狭くなっていきがちです。そういう執着を捨てて、まずはものをありのままに見て、正しいあり方を自分で考えることが大事。それが「中道」の言わんとすることかなと私は思っています。
選挙の結果は分かりませんが、政治家の皆さんにも私利私欲や特定の誰かの利益から離れて、私たちの生活が良くなる方策を考えていただきたいものです。
寺報『信友』240号の巻頭「住職三年もの言わず」を転載いたします。
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早いもので2015年12月に父が亡くなってから、そろそろ丸10年が経ちます。
この10年、個人的には結婚をし、子供が3人生まれた一方、母も旅立ちましたので、「子」から「親」に立場がすっかり変わったなぁと思います。
では、住職としてはどうでしょう。
「住職三年もの言わず」
浄土宗に住職継承の申請をした際、浄土宗から送られてきた書類に書かれていた言葉です。
住職になって最低3年はおとなしくしていなさい。住職だからと勝手なことをしたら、檀家さんから総スカンを食らいますよ。そんな意味の言葉です。
良く解釈すれば、先代住職の為したことを確実に受け継いでいくのに三年はかかるということなのでしょうけれど、わざわざ浄土宗が言ってくるということは、それだけ新米住職のトラブルが多いということなのかもしれませんね。
晩年の父は足腰と気管支の老化によって、外の葬儀に行かれぬようになり、さらに2階の本堂に上がることもままならず日頃の法事も副住職の私まかせになっていました。しかし、振り返ってみれば、10年くらいかけて住職移行が進んだようなもので、父の死後に「困った」ということはありませんでした。
もし父が最期までバリバリ現役で、副住職を表舞台に出させないようなタイプだったとしたら、檀信徒のみなさんも私に馴染むのに時間がかかったはずです。それこそ、まさに「住職三年もの言わず」で行かなければならなかったでしょう。
蓮宝寺の10年はというと、隣地を駐車場にすることができ、今年は化粧室の増改築も済ませられました。コロナ禍も乗り切ることができました。
お寺離れが喧伝される昨今、檀信徒のみなさんに見放されず、なんとか10年やってこられたこと、安堵するとともにあらためて感謝の念に堪えません。
私も48になり、老眼が著しく進んでおりますが、老け込まずに蓮宝寺の興隆に尽力せねばと思います。来年も引き続きよろしくお願い申し上げます。
11月中旬から本堂床と水屋の工事をしております。
①本堂の床は、約5メートルの長い板を並べて作られているのですが、経年劣化というのか、乾燥によって、徐々に板と板の間に隙間が出来てきました。広い所だと床下(一階の天井裏)がのぞけるほど。板の端がささくれ立ち、トゲが刺さる危険性もあるので、隙間を細い木材で埋めてもらう工事をいたしました。
↓こうなって
↓こうなりました
②かつて法事の際にお茶を用意する部屋にしていた2畳ほどの水屋があります。今は荷物置き場と化しているのですが、こちらに本棚を整備して、小さいお子さん向けの絵本や仏教書などを置き、法要前に一息入れる場所にできないかと計画を立て、リフォームすることにいたしました。
11月1日に「お寺で終活セミナー」を開催しました。檀信徒、私の知人など11名のご参加がありました。
相続や死後事務のことなどを司法書士の松本万紀先生がとても分かりやすく説明をしてくださいました。松本先生の事務所の司法書士と行政書士、またファイナンシャルプランナー、葬儀社さん、石材店さんも参加してくださったので、休憩時間はそれぞれに個別相談会のようになって、盛り上がりました。
参加された方々からは「とても充実していた」「良かった」というお声をいただいたので、今後も定期的に開催できればと考えております。

住職が代表理事をつとめている(一社)エッグツリーハウスについての記事が文化時報という仏教専門新聞に掲載されました。
住職もインタビューを受け、顔写真も載っていました^^;
お彼岸が過ぎ、少しずつ過ごしやすい秋の気配を感じる陽気となってまいりました。
さる9月21日に秋の彼岸法要をおつとめし、48名もの多くのお参りをいただきました。
今回は昨年の施餓鬼法要でも演奏をいただいたシンガーソングライターの山口春奈さんに、ピアノとハープで弾き語りをしていただきました。祈りをテーマにした山口さんオリジナルの歌や、映画「千と千尋の神隠し」の主題歌「いつも何度でも」、リクエストにお応えいただいた井上陽水さんの「少年時代」、幼稚園・保育園ではおなじみの「にじ」など、優しさと透明感あふれる歌声とピアノとハープの音色は、心の垢を洗い清めてくれるようでした。

法要は虎ノ門・栄立院の福西住職、西調布・光岳寺の内田住職にお手伝いいただき、3名でおつとめいたしました。お塔婆はお彼岸の期間内にみなさまの墓所に建てております。

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全6種類、合計110個のおにぎりも完売(販売してるわけではないですが)
今年の秋の彼岸法要は9月21日(日)におつとめします。
13時から山口春奈さんのコンサート、14時から法要の予定です。
寺報『信友』239号の巻頭「信用は一日にしてならず」を転載いたします。
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みなさん、アシダカグモという蜘蛛を御存じでしょうか?
我が家にたまに現れるこの蜘蛛、長い手足を持ち、壁や天井を素早い速さで動き回ります。大きいものは右足の先から左足の先まで15センチにもなるのだとか。見た目の気持ち悪さはなかなかのもので、不快害虫と称されます。虫が大嫌いな妻や子供たちが見つけてしまえば、悲鳴を上げての大騒ぎです。
しかし、アシダカグモ、実は良い奴なのです。インターネットで調べてみますと、
・毒を持たず、人間への攻撃性はない。
・巣を作らないので、網で家屋を汚すことがない。
・ゴキブリやハエなどの衛生害虫を捕食してくれる。
・口から出す消化液には強い殺菌能力があり、自身の脚などもこの消化液で手入れを行うので清潔。
・食物の上などを這い回ることも無い。
・家の中のゴキブリを始末しつくすと、次の獲物を求めて、静かに去っていく。
なんとまあ良い奴ではないですか。見た目は不快害虫ですが、人間にとってはこの上ない益虫なのです。
なので、子どもたちが騒いでも、「この蜘蛛はみんなの味方だからね」と諭す私。子どもは素直なもので、今では「友達だもんね」と怖がらなくなってきました。
一方、妻はまだ嫌悪感を隠しません。先日も悲鳴をあげる妻を「まあそのうちいなくなるからさ」となだめてみたところ、こんな言葉が返ってきました。
「今日会ったばかりの蜘蛛をなんでそんなに信用できるのよ」
ふと、妻の言うことも一理あるかもと考え込んでしまいました。信用するとは、たしかに一朝一夕にできるものではありません。
お寺もしかりです。
たとえば、永代供養では、
「○○さんがお亡くなりになったら、そこから一〇年間、春秋の彼岸法要と夏の施餓鬼法要の年3回、ご回向をします」
といった覚書を交わします。
もちろん「契約」を交わすわけですが、お亡くなりになった後のことで、本当に年3回の回向が実施されるのか、ご本人は確認のすべがありません。
それでも永代供養をご依頼いただけるのは、法要でのご回向を実際に目にしていたり、長年のお付き合いから蓮宝寺は悪いことはしないだろうと「信用」していただいているからなのだと気付きました。寺離れや寺院消滅といった言葉が飛び交う現代社会で、実にありがたいことです。
アシダカグモの話からずいぶんと脱線しましたが、「よく知っている蓮宝寺さんだから信用できるのよ」と言ってもらえるよう精進していこうと思った出来事でした。