寺報『信友』242号の巻頭「いかに生きたか」を転載いたします。
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あまり公言していないのですが、私の一番好きなお笑い芸人はダチョウ俱楽部でして、なかでも上島竜兵さんが大好きでテレビに出ていれば、いつも見ていました。実にくだらないという評価をよくされるダチョウ俱楽部ですが、何も考えずに笑える体を張った芸に心癒されるのです。
それだけに4年前、上島さんが突然この世を去った時はしばらく空虚感におそわれたものです。こんなに笑わせてくれた人がそんなに生きづらさを抱えていたなんて……と。
そのダチョウ俱楽部がデビュー40周年を迎え、5月25日に東京国際フォーラムで記念ライブが開催されることに。これはなんとしても行かねばならないと勇んで行ってまいりました。
片岡鶴太郎さん、笑福亭鶴瓶さん、爆笑問題さん、有吉弘行さんなどゆかりのある芸人さんたちが続々と登場、賑やかで笑いっぱなしの2時間半。上島さんもそこにいるような時間でした。
充実した時間を過ごし、思ったことがあります。
自死で亡くなると、何かその人の人生に暗い影がさしたような印象を持たれることが多いように思います。亡くなり方からその人の人生を見てしまうというのでしょうか。
しかし、今回のダチョウ俱楽部の記念ライブでは、満堂の5千人が上島さんのエピソードで笑い、上島さんの残した芸で笑い続けました。今、上島さんがここに存在しない寂しさは感じつつも、なんら悲壮感はなく、楽しく上島さんを思い出す時間でした。
上島さんは「お前は芸で笑わせているんじゃない。笑われているだけだ」と批判された時、「俺は笑ってもらえるなら、笑われても良いんだ」と返したそうです。たくさんの人を笑顔にさせたその人生が、そのまま表れたライブだったように思います。
私たちは亡くなり方にとらわれがちです。自死や孤独死、事故死は不幸なこと、良くない死に方だ。家族に見守られて安らかに旅立つのが良い死に方だ、理想的な死に方だと、死に方に優劣、善悪をつけて、人生を評価していないでしょうか。阿弥陀如来は亡くなり方で差別をしないと説かれています。どんな形で亡くなっても、懸命に生きた人に等しく手を差し伸べてくれるのです。
亡くなり方が大事なのではなく、いかに生きたかが大事。そんなことを再確認させてくれたダチョウ俱楽部でした。











