化粧室改修について

昨年12月下旬から改修工事が始まり、2月頭に多目的トイレが完成しました。介添の方も一緒に入れる十分な広さがあり、オストメイト対応トイレも設置しております。

今後はこれまでの男性用・女性用洗面所を解体し、3つの個室を新設する工事に入ります。春の彼岸法要までには完了する予定ですが、それまでは多目的トイレひとつだけをご利用いただくことになります。ご不便をおかけしますが、何卒ご了解くださいませ。

 

暗闇と救いの手

寺報『信友』237号の巻頭「暗闇と救いの手」を転載いたします。
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先日あるホテルに泊まった時のことです。

その日は深夜1時から5時まで全館停電のため、料金が安くなるというので、「そりゃ良いや」と思っていました。エレベーターも非常灯も冷蔵庫も全て止まるそうですが、1時から5時まで寝てしまえばいいわけですから。

しかし、そういう時に限って、夜中に目が覚めてしまうんですよね。カーテンを閉め切っていたため、月明かりすら入らず、真っ暗闇。ベッドから降りると、自分がどっちに向かって立っているかも分かりません。目をつぶったり、目隠しをしたりした時の暗闇とは全く違う感覚でした。全く光の無い世界、暗闇に包まれたような感覚です。

仏教では迷いの世界を暗闇の世界と言ったり、私たちの煩悩の源は無明(真理を知らない、つまり明かりが存在しない暗闇)と呼んだり、暗闇をよく使います。一方で、智慧を光で表現したり、阿弥陀如来はその光明で暗夜を照らし、私たちを救ってくださると説きます。暗闇(煩悩、迷い)と光明(悟り、救い)を対比するのです。

私もこうした表現をついつい使ってしまうのですが、ホテルで闇に包まれながら、いやはや真の暗闇とは恐ろしいものだなあぁと感じました。5時になれば明かりがつくと分かっているから良いものの、これが永遠だったらどれほど不安でしょうか。電気の無い古代インドの人たちは、きっとこうした暗闇の不安を体感的に理解し、だからこそ、仏様の智慧や救いを光にたとえたのだと実感しました。

蓮宝寺のお檀家さんに人生半ばで視力を失われた男性がいらっしゃいます。お参りに来られるときはいつも奥さまが寄り添い、親身にお世話をされています。

ある時、私が「奥さまがお優しくて、何よりですね」と声をかけると、そのご主人は、「本当に私にとっては観音様です、ありがたいことです」と感謝を述べられました。

暗闇の中でこのやり取りを思い出した私は、このご主人の言葉は誇張でもなんでもなく、心の底からの言葉だったのだとあらためて感銘を受けました。自分がどこにいるのか、目の前に何があるのか分からない世界で、奥さまは迷える者に救いの手をさしのべる観音様にほかなりません。

私はその奥さまのように信友のみなさまの観音様には到底なれません。せめて、仏さまの教えが、少しでもみなさの暗闇(不安)を照らす光となるよう、お伝えしていければと気を引き締めた夜でした。

ちなみに再び眠りについたのですが、5時に全ての電気がついてしまい、大慌てで電気を消してしまいました。過ぎたるは猶及ばざるが如し。程よい光明がよろしいようです。

2025年初春

みなさま、旧年中は大変お世話になりました。

新年をいかがお迎えでしょうか。

蓮宝寺は他の初詣で賑わう寺社に申し訳ないくらいにのんびりと過ごしております。

元旦は昨年末に妻の実家でついてきた手作り鏡餅をお供えし、一年間の平安を祈る法要をお勤めしました。

みなさまが幸いを感じる時間の多い一年でありますようお祈りいたします。

本年もよろしくお願い申し上げます。

塵を払い、垢を除かん

寺報『信友』236号の巻頭「塵を払い、垢を除かん」を転載いたします。
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11月とはいえ、20度を超える日もあり、先日は多磨霊園での読経中に蚊に刺されてしまいました。一方で、多磨霊園の木々の落ち葉が毎日のように駐車場に降り積もります。本当に秋がなくなり、夏と冬が隣り合っているようで、温暖化を実感させられます。

延々と舞い落ちる枯葉を見ていると、お釈迦さまの一人のお弟子さんが思い浮かびます。それは、周利槃特(しゅりはんどく)というお弟子さん。

周利槃特は兄の摩訶槃特(まかはんどく)に勧められてお釈迦さまに弟子入りしました。兄ははとても頭がよく、お釈迦さまの教えをすぐに理解できたのですが、周利槃特は物覚えが悪く、時々自分の名前を忘れてしまうほど。お釈迦さまの教えを覚えることなど到底できません。

修行仲間にからかわれ、兄にも厳しく咤され、泣いているところにお釈迦さまが現れ「なぜそんなになげいているのか?」と問いかけました。

周利槃特は「自分は愚かで何も覚えられない。もう修行をやめたい。どうしてこんなに愚かに生まれてしまったのか」と吐露します。

お釈迦さまは「悲しむことはない。自分の愚かさを知っている者は愚かではない。自分が賢いと思っている者が愚かなのだ」と励まし、一本の箒(ほうき)と「塵(ちり)を払い、垢(あか)を除かん」という一句を周利槃特に与えました。

それ以来、周利槃特は来る日も来る日も「塵を払い、垢を除かん」と唱えながら、箒で掃除をし続けました。最初はバカにしていた修行仲間たちも、次第に尊敬の念を抱くように。お釈迦さまも「上達することも大事だが、努力を続けることはもっと大事だ」と周利槃特の姿勢をほめられたそうです。

掃除をし続けること20年、周利槃特はついに悟りました。掃除をしても、すぐに汚れやほこりが生じます。だからこそ掃除し続けることが大事。これは人間の心も同じこと。次から次へと沸き起こる執着や欲望は、いわば心の塵や垢。常に自分の心を見つめて、掃き清める努力が必要なのですね。

さて、我が身を振り返ると、一本の箒ではなく、電動ブロワーを使うというていたらく……。悟りには程遠いようです。

みなさまも年末の大掃除には、「塵を払い、垢を除かん」とお唱えしてみてはいかがでしょうか。

ちなみに、「天才バカボン」のレレレのおじさん、周利槃特がモデルだそうです。

【追記】謎の赤い実

駐車場の落ち葉を掃いていたら、落ち葉の下から何やら大量の赤い木の実が出てきました。形状からするとハナミズキの実のようです。

風に飛ばされて自然とこんなに集まるはずもありません。動物好きの姉の推測では、ネズミのしわざではないかということです。貯食行動といって、食料を集めて隠しておくのだとか。

ここは全然掃除していないから、隠すのにちょうど良いと思われたのでしょうか……。

令和6年 秋の彼岸法要ご報告

今年も残暑が厳しい9月でしたが、お彼岸を境に一気に過ごしやすくなってまいりました。9月23日の彼岸法要当日がまさに境目のような秋を感じる一日でした。3連休となった今年のお彼岸ですが、天候に恵まれたこの日が多磨霊園のお参りも一番おおかったように感じます。彼岸法要にも32名の信友のみなさまにお参りいただきました。

春彼岸は歯科医師の枝広先生の健康講話、夏の施餓鬼法要は山口春奈さんのコンサートとゲストが続き、さすがに年に1回くらいは住職が法話をしなければと今回は私が法話をいたしました。法話といっても、いつものように余談ばかりの法話ともつかない話でしたが、これからの時代を見据えて永代供養や寺院が責任をもってお弔いをできるようなシステムを考えていきたいという私の考えをお伝えいたしました。

14時からの法要はみなさまに大きな声でお念仏をしていただき、ありがたい気持ちでおつとめいたしました。来年春のお彼岸は3月22日(土)の予定です。

法要翌日に夏の簀戸障子から通常の障子に入れ替え、これで夏に一区切り。秋の到来を実感いたします。みなさま、くれぐれもご自愛くださいませ。

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次のオリンピック

寺報『信友』235号の巻頭「次のオリンピック」を転載いたします。
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パリオリンピックが閉幕しました。テレビが一家に一台だった頃に比べると、家族でオリンピックに熱狂する時代ではなくなってしまいましたが、それでも数々の感動の場面がありましたね(虎党の私はタイガースの戦績に一喜一憂の夏でしたが……)。

4年後はロサンゼルスと聞いて、1984年(昭和59年)のロス五輪を思い出しました。私の記憶の一番古いオリンピックがそれなのです。

私は当時7歳でした。体操の森末・具志堅、柔道の斉藤・山下の金メダル、カール・ルイスの四冠は鮮明に覚えています。そして、もう一つロス五輪で忘れられない光景があります。

おじいちゃん子だった私は、祖父と一緒にテレビで閉会式を見ていました。「4年後はソウル……」というアナウンスを聞きながら、祖父は「おじいちゃん、次のオリンピックは見られないかもしれないなあ」とつぶやいたのです。

私にはまだその言葉の意味が分りませんでした。でも、弱いところを見せることなどなかった明治生まれの祖父が、珍しく寂しそうにしていたので、記憶に焼き付いているのでしょう。

祖父は頑強な人でした。翌年の4月末、私と一緒に入浴中に心臓の痛みを訴え出し、翌朝、着物に着替えて、自分で救急車を呼んで、自分の足で乗り込んで病院に向かいました。診断は心筋梗塞。すぐに危篤状態となりました。

余命数日といわれましたが、11日間がんばって、5月8日に浄土に旅立ちました。

家族も檀家さんも「何の前触れもなく逝ってしまった」と言いました。

当時の男性の平均寿命は74歳、祖父は80歳でしたから、死がいつ来てもおかしくはありません。でも、今、ロス五輪のことを思い返すと、それだけはない何かを祖父は感じていたように思うのです。あの一瞬の寂し気な顔は、一年も経たずに旅立つ自分を予期していたのかも……と。

オリンピックの4年という間隔は、恐ろしくも思えてきます。私の父はロンドン五輪、母は東京五輪が最後のオリンピックでした。慢性腎不全だった父、悪性リンパ腫だった母にとって、「次のオリンピック」はどんな響きを持つ言葉だったのだろう。

誰だって4年後にロス五輪を見られる保障はありません。それでも、4年の持つ重みは人それぞれ。病気の人、健康な人、若い人、老いた人、「あと4年」を簡単だと思う人もいれば、ハードルが高いと感じる人もいるでしょう。

みなさまが、4年後、「またオリンピックを見られた」という日を迎えられますように。住職としてご本尊に願っております

施餓鬼会法要ご報告

7月7日に施餓鬼法要をおつとめし、36名のお参りをいただきました。
府中市では午後2時に最高気温36度という予報でしたので、朝から1階・2階のエアコンを全開にして、寺全体を冷やすように試みたものの、外気温とみなさんの熱気とで、結局かなりの暑さになってしまったのではと思います。
それでも、最後まで参列していただいたこと、誠にありがたいことと感謝申し上げます。

春のお彼岸では、法要前に口腔機能についての健康講話をしていただきましたが、今回はミニコンサートを初開催。シンガーソングライターの山口春奈さんに、ピアノとハープで弾き語りをしていただきました。

施餓鬼のご詠歌をピアノでアレンジしていただいたり、「七夕」や「ふるさと」といった唱歌、映画「千と千尋の神隠し」の主題歌「いつも何度でも」、亡き人とのつながりや祈りをテーマにしたオリジナル作品など、1時間弱にわたるコンサート、優しさと透明感あふれる歌声にみなさん、心癒されるひと時でした。

秋の彼岸法要は9月23日(月・振替休日)を予定しています。

適度な栄養と休養でこの夏を乗り切りましょう!