このあと どうしちゃおう

寺報『信友』243号の巻頭「このあと どうしちゃおう」を転載いたします。
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子どもたちを寝かしつけるため、2~3冊の絵本を読むのが日課となっている我が家。月に2回くらいの頻度で図書館から絵本10冊を借りてきます。

6月、妻子が借りてきた絵本のなかにヨシタケシンスケさんの『このあと どうしちゃおう』がありました。「おもしろそう」と子供たちにせがまれて読んでみたのですが、実になかなかおもしろいのです。

いきなりおじいちゃんが亡くなったところから始まるのですが、孫がおじいちゃんのベッドの隙間から一冊のノートを見つけます。

それはおじいちゃんの「このあと どうしちゃおう」ノート。「自分が死んだらどうなりたいか」が記されているのです。死んだあとにはこんなところに行きたい、こんな神様がいてほしい、生まれ変わったら何になろう……、風に飛ばされるビニール袋がもしかしたら生まれ変わったおじいちゃんかも?

どれもクスっと笑ってしまうイラストで描かれて、全く暗さはありません。子どもたちも笑いながら見入っています。

そんな矢先の7月2日、母の姉(私の伯母)が98歳で大往生。蓮宝寺にて葬儀を執り行いました。

6歳の長女、4歳の長男も毎月のように会いに行っていたので、ちょっとは寂しがるかなと思いきや、「うーちゃん(伯母の愛称)、次は何に生まれ変わるんだろう?」となんだか楽しそう。

火葬場から戻る車中でも「もうお骨になっちゃったから、何かに生まれ変わっているかもね」と姉や妻も参加しての「あれかな?これかな?」の想像合戦です。

寺に到着し、車のエンジンを切った途端、フロントガラスめがけて一匹のゴマダラカミキリムシが飛んできました。そして、ぴたっと張り付いたまま動かないのです。まるで車中の我々に何かを訴えにきたかのように不動のカミキリムシに一同驚きを隠せません。

「うーちゃんかな?」「いくらなんでも早すぎないか?」と議論した結果、伯母の葬儀をしっかりつとめた我々を、母がカミキリムシに姿を変えてねぎらいに来たのだということに。

そもそも大往生ということもありますが、一冊の絵本のおかげで終始明るく、伯母を見送ることができた夏でした。

さて、みなさんの大切なあの人は何に生まれ変わって、みなさんに会いに来ているのでしょう?

※その後、『このあと どうしちゃおう』を購入し、蓮宝寺図書室に配架しております。ご興味ある方はどうぞご覧ください。

2026年度施餓鬼法要ご報告

今年の梅雨は比較的涼しい日が多く、久しぶりに梅雨らしい感じがいたしました。
心なしか紫陽花も長く咲いていたように思います。
7月5日の施餓鬼法要も午前中は小雨があり、午後まで降るとご参拝のみなさんにご不便をかけてしまうなと案じておりましたが、雨があがり一安心でした。
蒸し暑いなか、40人近いお参りをいただき、ありがとうございました。

今回は私が葬儀についてのお話をつとめさせていただきました。
昨今の葬儀事情をみるにつけ、葬儀業界が大きな経済市場となり、えげつない営利目的の葬儀社が横行しています。
格安をうたっていても実際はその10倍の請求額になったり、不要なサービスを「みなさん、されていますよ」と売りつけたり……、ビジネスとはいえ、お弔いに携わる人には真心を忘れてほしくないものです。
葬儀は比較が難しく、短時間であれこれ決めなければならず、葬儀社の言うがまま。
そして、「お父さんの葬儀であまり揉めたくない」と思って言われるがままの支払いをしてしまう。
そんなことが起きやすい場面ですので、檀信徒のみなさまにはそういう目に合わず、心穏やかに故人様を見送って欲しいと切に願います。
菩提寺の義務として、今後はそのような情報発信をしていきたいとお伝えさせていただきました。

法要はいつものように虎ノ門・栄立院の福西上人と西調布・光岳寺の内田上人にお手伝いいただき3人でおつとめいたしました。

なお、秋の彼岸は9月26日(土)を予定しています。
昨年も素敵な歌唱とハープ・ピアノの演奏をしてくださった山口春奈さんに再びご登場いただきますので、リクエストがあればお伝えください。

いかに生きたか

寺報『信友』242号の巻頭「いかに生きたか」を転載いたします。
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あまり公言していないのですが、私の一番好きなお笑い芸人はダチョウ俱楽部でして、なかでも上島竜兵さんが大好きでテレビに出ていれば、いつも見ていました。実にくだらないという評価をよくされるダチョウ俱楽部ですが、何も考えずに笑える体を張った芸に心癒されるのです。

それだけに4年前、上島さんが突然この世を去った時はしばらく空虚感におそわれたものです。こんなに笑わせてくれた人がそんなに生きづらさを抱えていたなんて……と。

そのダチョウ俱楽部がデビュー40周年を迎え、5月25日に東京国際フォーラムで記念ライブが開催されることに。これはなんとしても行かねばならないと勇んで行ってまいりました。

片岡鶴太郎さん、笑福亭鶴瓶さん、爆笑問題さん、有吉弘行さんなどゆかりのある芸人さんたちが続々と登場、賑やかで笑いっぱなしの2時間半。上島さんもそこにいるような時間でした。

充実した時間を過ごし、思ったことがあります。

自死で亡くなると、何かその人の人生に暗い影がさしたような印象を持たれることが多いように思います。亡くなり方からその人の人生を見てしまうというのでしょうか。

しかし、今回のダチョウ俱楽部の記念ライブでは、満堂の5千人が上島さんのエピソードで笑い、上島さんの残した芸で笑い続けました。今、上島さんがここに存在しない寂しさは感じつつも、なんら悲壮感はなく、楽しく上島さんを思い出す時間でした。

上島さんは「お前は芸で笑わせているんじゃない。笑われているだけだ」と批判された時、「俺は笑ってもらえるなら、笑われても良いんだ」と返したそうです。たくさんの人を笑顔にさせたその人生が、そのまま表れたライブだったように思います。

私たちは亡くなり方にとらわれがちです。自死や孤独死、事故死は不幸なこと、良くない死に方だ。家族に見守られて安らかに旅立つのが良い死に方だ、理想的な死に方だと、死に方に優劣、善悪をつけて、人生を評価していないでしょうか。阿弥陀如来は亡くなり方で差別をしないと説かれています。どんな形で亡くなっても、懸命に生きた人に等しく手を差し伸べてくれるのです。

亡くなり方が大事なのではなく、いかに生きたかが大事。そんなことを再確認させてくれたダチョウ俱楽部でした。

増上寺御忌法要団体参拝

蓮宝寺として初の試みとして4月7日、増上寺御忌法要に団体参拝いたしました。

募集をしてみたものの、10人にも満たないのではないかと不安でいっぱい。しかし、27人ものご参加をいただくことができ、ホッと胸をなでおろしました。

当日、小雨まじりのお天気でお練り行列や舞楽の中止は残念でしたが、法要の盛大さは実感していただけたように思います。

今回、私に法要後の予定があったため現地解散となってしまいましたが、もし次回があれば、懇親会が出来たらいいなと夢想しております。

お寺ピアノ

駅前ピアノや空港ピアノならぬお寺ピアノを始めました。実は仲良くしているご近所さんからピアノを譲っていただいたのです。

昨年末に水屋を図書室に改装しましたが、そちらに設置をいたしました。(念のため床補強工事済み)

ピアノを習っているお子さんが久しぶりに会うご親戚に披露したり、かつてのお子さんが数十年ぶりに弾いてみたり、どうぞお気軽にお弾きいただければ幸いです。

2026春の彼岸法要ご報告

春本番のぽかぽか陽気を期待したいところですが、不安定な天気が続きますね。多磨霊園の桜は満開を過ぎ、花びらを散らしています。

遅くなってしまいましたが、お彼岸のご報告です。

今年も昨年に引き続き、私の大学時代の先輩で30年来のお付き合いになります杵屋喜太郎さんに長唄の解説と実演をしていただきました。今回は喜太郎さんの先輩、杵屋彌太郎さんが三味線を弾いてくださったのですが、彌太郎さんは東京芸大の卒業だとか。私、初めて芸大出身の方と会ったかもしれません。


二人での唄と演奏は迫力満点、喜太郎さんの丁寧な解説もあり、あっという間に時間が過ぎていきました。打ち合わせでは全体で45分くらいと話していたのですが、実際は1時間の大熱演。お二方、ありがとうございました!

法要は虎ノ門・栄立院の福西上人と西調布・光岳寺の内田上人に出仕していただき3人でおつとめいたしました。この日は朝からワイヤレスマイクが全く機能しなくなってしまい、地声での回向となってしまいました。みなさんにしっかりと聞こえていたなら良いのですが……。

お塔婆は法要翌日に立てておきました。寺から徒歩圏内のお墓には、写真のようにキャリーワゴンに載せて子供たちと回らせていただきました。

なお、施餓鬼法要は7月5日(日)を予定しています。

リフォームと修繕工事②

昨年暮れのブログで本堂の床修繕のご報告をしましたが、水屋のリフォームも完了いたしました。

使用していなかった水屋を本棚スペースにリフォームし、仏教書や幼児用絵本を配架しております。

また、これらの工事をしてくださった工務店さんが立派なスロープを作ってくださいました。臨時用に依頼したのですが、あまりに立派なので常設することにいたしました(笑)

中道とは?

寺報『信友』241号の巻頭「中道とは?」を転載いたします。
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この原稿を書いているのは二月四日。今週末には衆議院選挙が行われます。

今回の選挙、中道改革連合の結成に驚いた方も多いでしょう。私も、あの政党の支持母体の某教団とあちらの政党を支援している某教団は仲が悪いのに……などとミーハー目線で眺めておりました。

さて、今号巻頭は政党名になった「中道」についてのお話。これはもともと仏教の言葉なのです。

『仏教辞典』で「中道」を引くと、「相互に矛盾対立する二つの極端な立場のどちらからも離れた自由な立場」と書かれています。

仏教をひらかれたお釈迦様は王族の生まれで王子様として育ちました。お妃もいて非常に驕奢な生活をされていたといいます。しかし、人生の苦悩を抱え、29歳で出家。断食や不眠など自分の身体を痛めつけるような苦行にのめりこんでいきました。

ある時、インドの民謡が聞こえてきます。

琵琶の弦、きりりと締めればぷっつり切れて、さりとて、緩めりゃべろんべろん

これを耳にしたお釈迦様は、苦行は弦を締め上げた状態、王子としての生活は弦を緩めた状態なのだと気が付き苦行をやめたそうです。

苦行主義と快楽主義、この両極端な立場を捨て、程よい張り具合で良い音を奏でる琵琶のように、適度な修行(瞑想)を選んだお釈迦様は35歳でついに悟りを得ました。

ここから生まれた言葉が「中道」ですが、どちらにも立たずに折衷案や中間を選ぶというわけではありません。辞典にあるように「離れる」ことが大事。

私たちはつい「こうしなければならない」「こうあるべきだ」と一つの立場に固執して、どんどん視野が狭くなっていきがちです。そういう執着を捨てて、まずはものをありのままに見て、正しいあり方を自分で考えることが大事。それが「中道」の言わんとすることかなと私は思っています。

選挙の結果は分かりませんが、政治家の皆さんにも私利私欲や特定の誰かの利益から離れて、私たちの生活が良くなる方策を考えていただきたいものです。

住職三年もの言わず

寺報『信友』240号の巻頭「住職三年もの言わず」を転載いたします。
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早いもので2015年12月に父が亡くなってから、そろそろ丸10年が経ちます。

この10年、個人的には結婚をし、子供が3人生まれた一方、母も旅立ちましたので、「子」から「親」に立場がすっかり変わったなぁと思います。

では、住職としてはどうでしょう。

「住職三年もの言わず」

浄土宗に住職継承の申請をした際、浄土宗から送られてきた書類に書かれていた言葉です。

住職になって最低3年はおとなしくしていなさい。住職だからと勝手なことをしたら、檀家さんから総スカンを食らいますよ。そんな意味の言葉です。

良く解釈すれば、先代住職の為したことを確実に受け継いでいくのに三年はかかるということなのでしょうけれど、わざわざ浄土宗が言ってくるということは、それだけ新米住職のトラブルが多いということなのかもしれませんね。

晩年の父は足腰と気管支の老化によって、外の葬儀に行かれぬようになり、さらに2階の本堂に上がることもままならず日頃の法事も副住職の私まかせになっていました。しかし、振り返ってみれば、10年くらいかけて住職移行が進んだようなもので、父の死後に「困った」ということはありませんでした。

もし父が最期までバリバリ現役で、副住職を表舞台に出させないようなタイプだったとしたら、檀信徒のみなさんも私に馴染むのに時間がかかったはずです。それこそ、まさに「住職三年もの言わず」で行かなければならなかったでしょう。

蓮宝寺の10年はというと、隣地を駐車場にすることができ、今年は化粧室の増改築も済ませられました。コロナ禍も乗り切ることができました。

お寺離れが喧伝される昨今、檀信徒のみなさんに見放されず、なんとか10年やってこられたこと、安堵するとともにあらためて感謝の念に堪えません。

私も48になり、老眼が著しく進んでおりますが、老け込まずに蓮宝寺の興隆に尽力せねばと思います。来年も引き続きよろしくお願い申し上げます。

リフォームと修繕工事

11月中旬から本堂床と水屋の工事をしております。

①本堂の床は、約5メートルの長い板を並べて作られているのですが、経年劣化というのか、乾燥によって、徐々に板と板の間に隙間が出来てきました。広い所だと床下(一階の天井裏)がのぞけるほど。板の端がささくれ立ち、トゲが刺さる危険性もあるので、隙間を細い木材で埋めてもらう工事をいたしました。

 

↓こうなって

↓こうなりました

②かつて法事の際にお茶を用意する部屋にしていた2畳ほどの水屋があります。今は荷物置き場と化しているのですが、こちらに本棚を整備して、小さいお子さん向けの絵本や仏教書などを置き、法要前に一息入れる場所にできないかと計画を立て、リフォームすることにいたしました。

この部屋です。