3月11日「生と死をみつめるシンポジウム」

3月11日14時半から武蔵小金井駅前の宮地楽器小ホールにて「生と死をみつめるシンポジウム」が開催されます。

私が大変信頼している葬儀社さん・小金井祭典の是枝社長が企画されたシンポジウムで、私もファシリテーター(進行役?)で登壇します。
是枝さんは、遺族が抱える死別・喪失による悲嘆(グリーフ)をどうサポートしていくかをいつも真剣に考えていらっしゃって、私自身、いつも学ばせていただいています。
その是枝さんのグリーフサポートの師匠である橋爪謙一郎さんが基調講演をされ、そのあと、橋爪さん、是枝さん、さらに私も良く知る西尾さん、狐島さん(子どものグリーフサポートの団体エッグツリーハウスを一緒に立ち上げました)がパネルディスカッションをおこないます。

入場無料でございますので、ご興味のある方は是非お申込みください。

Symposium-A4flyer_0223v2 ←A4チラシPDF

Symposium-B4posterv2 ←B4チラシPDF

実は、このシンポジウムは夜に開かれる「第8回バチカンより日本へ祈りのレクイエム」というコンサートの露払い的な意味もございます。
バチカンの枢機卿と日本の僧侶が間接的にタッグを組むという珍しい機会ともいえます。
コンサートは有料になりますが、こちらも是非ご参加いただければと存じます。

静けさの中に友となる

寺報『信友』221号の巻頭「静けさの中に友となる」を転載いたします。
今回の『信友』には、写真のお線香を同封いたしました。
どうしてお線香を同封したのかを書かせていただきました。

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日本で新型コロナウイルスの感染が確認されて、もう一年が経ちます。東京の感染者が数十人というニュースに慌てていたあの頃に懐かしさすら覚えてしまいます。みなさま、それぞれに辛抱しながら、この一年を頑張ってこられたことでしょう。心よりお見舞いを申し上げます。

一年前の「信友」では、春の彼岸法要をいつも通りの形でご案内をしていました。つまり、みなさんにお寺にお集まりいただき、お弁当をお出しし、住職が法話をして、法要では、みなさんと一緒にお念仏をお唱えするというもの。

しかし、感染が拡大したため、無参集という形に変更せざるをえませんでした。飲食は危険、大勢で声を出すなんてもってのほか。そんなことを専門家から言われてしまうと、お寺の行事は危険がいっぱい。毎回、五、六十人のご参集があったこと、なんて幸せなことだったかと溜息が出てしまいます。

「アクリル板を置いたらお弁当もOKかな?」「マスクをしていれば、ご参集していただいても大丈夫では?」などと考えてはみますが、不安が拭い切れません。やはり、安心して手を合わせていただくのが何よりも大事なこと。まだまだ辛抱と思っております。どうかご理解のほど、お願いいたします。(当日、墓参等で近隣にお越しの際、法要にお立ち寄りいただくのは構いません)

さて、もう一年も信友のみなさまとお会いできていないのだなあと思いまして、何か繋がりを感じていただけるものは無いだろうかと頭をひねってみた私。ひらめいたのが、同封のお線香です。

お寺にお線香は付き物。お仏壇にお線香をお供えしていただき、その香りから、蓮宝寺を思い出していただけたらと淡い期待を込めていますが、実は、お香には、「香の十徳」といって、古くから十の徳があると言われています。

感格鬼神(感性が研ぎ澄まされる)
清浄心身(身も心も清らかにする)
能除汚穢(よく汚れを取り除く)
能覚睡眠(よく眠りを覚ます)
静中成友(静けさの中に友となる)
塵裏愉閑(多忙な中にホッと一息)
多而不厭(多くても邪魔にならず)
寡而為足(少量でも十分に足りる)
久蔵不朽(長期保存して大丈夫)
常用無障(常用しても支障なし)

今回、特に注目したいのは、五番目の「静中成友」。静けさの中に友となる……。なんだか、分かるようで分かりません。どうやら、「孤独感を和らげる」と解釈するようです。静けさというのは、一人ぼっちの状態。そこで友となってくれるのが、お香の良いかおりということなのでしょう。

コロナ禍で会いたい人に会えない。サークルや趣味の集まりにもいけない。お友達とおしゃべりができない。お墓参りにも行けない。そんな寂しさをお線香で少しでも癒していただければ、私も嬉しい限りです。

とても香りのよいお線香ですので、お仏壇に限らず、アロマ代わりにお使いになってもかまいません。コロナに感染すると、鼻が効かなくなると聞きます。「今日もいい香りがするから、感染していなさそうだ」と嗅覚チェックにもお使いください。

本堂にお雛様

娘が生まれたということで、私の母が「お雛様を出してあげましょう」と号令を発しました。お雛様は女の子が生まれるたびに新しいお人形を用意し、子どもの身代わりとして災厄をお人形に受けてもらうというのが本来だそうですが、固いことは抜きにして、姉が誕生した時のお祝いのお雛様を出すことにしました。

四十数年前に母の実家から届いた七段飾りのひな人形も、姉が成長するにつれ、飾られることもなくなり、かれこれ三十年以上、本堂の人目に付かない段ボールの中で眠っていました。 おそるおそる開けてみると、ほとんど傷んでおらず、久しぶりに日の目を浴びて嬉しそうです。