ありがとうございました。

去る平成27年12月14日、第二世住職、小川有順老和尚が遷化いたしました。
往蓮社僧都生譽喜法有順老和尚 世壽87歳でした。
18日に仮通夜、19日に密葬を、近親者のみでつとめさせていただきました。表葬の儀を2月26日に芝・増上寺にておこなう予定です。
以下、檀信徒の皆様にお送りした寺報『信友』の原稿を掲載いたします。
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十二月十四日未明、私の父であり、師であります蓮宝寺第二世・小川有順が極楽浄土へと旅立ちました。八十七年の生涯でした。まずもって、昭和六十年の住職就任から三十年の長きにわたり、父をお支えいただきました信友のみなさまに御礼申し上げます。ありがとうございました。

別れは徐々にやってまいりました。

十数年前に大腸がんの手術をしてからは、葬儀や年忌法要への登板は少なくなったものの、春秋の彼岸会と夏の施餓鬼会だけは、法話と導師を欠かさずにつとめてきた父。しかし、今年七月の施餓鬼会では法話から退き、九月の彼岸会は「ちょっと自信がない」と言って、みなさまに顔をお見せすることすらできませんでした。

腎不全をわずらっていた父は主治医に、「透析をしなければ、悪化しても入院はさせられません。最後は尿毒症になり、大変な苦しみのなかで亡くなっていきます。もしくは急に心臓が止まるかのどちらかです。本人と家族にその覚悟はあるのですか?」と何度となく確認され、そのたびに「それで結構」。一度だけ透析の準備としてシャント手術なるものを受けましたが、結果は芳しくなく、その経験が父の透析拒否の意志をよりいっそう固くしたように思います。

春から夏、夏から秋、そして秋から冬と、今年は季節の変化が身体に響いている様子が明らか。毎月の腎臓の検査結果も下降線をたどる一方でした。十一月に入ると、風邪の症状がおさまらず、誤嚥性肺炎と診断され、十三日に緊急入院。誤嚥防止のための絶食、点滴治療のおかげで二十五日に退院できましたが、腎臓はついに限界を迎えたようです。退院後は介護が必要な状態となり、日に日に衰弱を見せていきます。治療をせず、穏やかに自宅で亡くなることを選択した私たちも、弱っていく父を見守るしかないのは、つらく悲しいものでした。本人が帰宅を心底切望していたので、それが叶ったこと、想像していたほど苦しそうではないことが救いでした。

最後の一週間、日中は母が、夜中は姉がつきっきりでした。十四日、ベッドサイドで父の手を握りながら姉がウトウトしたのが午前二時半。四時過ぎに目を覚ました時、握っていた手のひらだけが温かく、もう握り返すことはありませんでした。

父の幼少期から青年期は、家族の温もりに恵まれたとはいえないものでしたが、晩年は妻に甘えつくし、娘に手を握られながら逝けたことは、それを補ってあまりあるものだったと確信しています。信友のみなさまにご理解とご支援をいただき、家族の温もりに包まれた小川有順は僧侶としても、父親としても幸せ者でした。