お坊さんと話す機会

最近は、僧職系男子に癒されたいといった人が増えていると耳にします。
お坊さんと交流するイベントやお寺で開催されるカフェも盛況のようです。
菩提寺がない方はそういうところに行くしか僧侶と触れる機会がないのかもしれませんが、もし菩提寺とお付き合いがあるなら、わざわざそういうところに行かないで、菩提寺の和尚さんと飲みにでも行けばいいのになと思ってしまいます。
お坊さんの恰好をして、一般人/僧侶の線引きが明確な状況では、僧侶は、ある意味、武装していると言えますし、外見を装おうことで自分を守っているとも言えます。
意地悪な見方をすれば、「僧侶」という殻をかぶって、自分をさらけださなくて済むとも言えるかもしれません。
(参加する一般の方も、「僧侶」というあるべき姿・理想像を求めているとしたら、それで良いのかもしれませんが。)
その点、飲みにいけば、鎧を外した状態ですから、その僧侶個人の人間性が見えてくる。外面を装っているだけなのか、中身も僧侶らしい何かを持っているのか、持っていなくても人間的に面白い人なのか否か、、、
いつもは真面目な法話しかしない和尚さんが飲んでみたら意外と人間らしい人だったという発見が待っているかもしれません。
数年に一度の法事の時だけの付き合いではお互いによく分かりあえるわけはないわけで、たまに飲んで本音で話すことが、ひょっとすると良い法事・良い葬儀につながっていくのではないかと睨んでいます。
(ちなみに私も檀家さんと飲みに行くことがございます。問い合わせフォームからお気軽にお声掛けください(笑))

先月の大雪

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先月は多磨霊園も大雪が降り、今までに見たことのないような光景が広がりました。
膝くらいの深さまで雪が積り、雪の白さでほのかに明るさを漂わせた静まり返った多磨霊園です。

ずれる妙味

3月2日に竹橋にある学術総合センターにて開催された厚労省科研パネル討論会「自殺総合対策に必要な融合的研究:その現状と今後」に参加してまいりました。
統計学、保健学、経済学、宗教学、リスクシステム情報学など、さまざまな分野の専門家からの発表があり、私の理解力を超えた難解なものから、なるほどと得心できるものまで、お腹いっぱいならぬ頭いっぱいの討論会でした。
質疑応答は時間がなく、質問用紙からパネリストが抜粋して答えるという形式でしたが、そのなかに、宗教者もがんばっているのに自殺対策のメインストリームに出てこないのはなぜかという質問がありました。
正直なところ、私にはあまりピンと来ない質問でした。
一つには全国の宗教者のうち、どれくらいの割合の人ががんばっているのかということ。
(がんばるという言葉は好きじゃないのですが、とりあえず使ってみます)
一部の積極的に取り組んでいる宗教者を見て、全国の宗教者がメインストリームに出るべきだというのは、危険な気がするのです。
もう一つには、「治すぞ!」「減らすぞ!」「防ぐぞ!」という方向が「自殺対策」の基本姿勢だと思うのですが、僧侶が相談活動をするのはそこと少しずれるのではないかということ。
「治っても治らなくてもいい」「防げないのも仕方がない」というと極端かもしれませんが、常識や社会的価値・規範とは異なる姿勢、ある種の「緩さ」が、僧侶ならではの持ち味な気がしますし、相談をしてこられる方も、ガッチリ方向付けがされた「自殺対策」にはない、世の中とはちょっととずれている世界観に居心地の良さを感じてくれているのかしらと思うことがあります。