3月2日に竹橋にある学術総合センターにて開催された厚労省科研パネル討論会「自殺総合対策に必要な融合的研究:その
統計学、保健学、経済学、宗教学、リスクシステム情報学など、さまざまな分野の専門家からの発表があり、私の理解力を超えた難解なものから、なるほどと得心できるものまで、お腹いっぱいならぬ頭いっぱいの討論会でした。
質疑応答は時間がなく、質問用紙からパネリストが抜粋して答えるという形式でしたが、そのなかに、宗教者もがんばっているのに自殺対策のメインストリームに出てこ
正直なところ、私にはあまりピンと来ない質問でした。
一つには全国の宗教者のうち、どれくらいの割合の人ががんばっているのかということ。
(がんばるという言葉は好きじゃないのですが、とりあえず使ってみます)
一部の積極的に取り組んでいる宗教者を見て、全国の宗教者がメインストリームに出るべきだというのは、危険な気がするのです。
もう一つには、「治すぞ!」「減らすぞ!」「防ぐぞ!」という方向が「自殺対策」の基本姿勢だと思うのですが、僧侶が相談活動をするのはそこと少しずれるのではないかということ。
「治っても治らなくてもいい」「防げないのも仕方がない」というと極端かもしれませんが、常識や社会的価値・規範とは異なる姿勢、ある種の「緩さ」が、僧侶ならではの持ち味な気がしますし、相談をしてこられる方も、ガッチリ方向付けがされた「自殺対策」にはない、世の中とはちょっととずれている世界観に居心地の良さを感じてくれているのかしらと思うことがあります。