『愛猫とずっと一緒に、幸せに 長生き猫の暮らしとお世話』

猫も高齢化の時代、いかに猫を介護するか、看取るか、ということに悩む飼い主も出てくることでしょう。そんな人に向けて、住職の姉が『愛猫とずっと一緒に、幸せに  長生き猫の暮らしとお世話』という本を編集いたしました。我が家の猫(17歳)の写真がたくさん掲載されております。高齢猫と暮らされている方、是非、お手元に。
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東京新聞

過日、お知らせいたしました自死者追悼法要ですが、おかげさまで滞りなくお勤めすることができました。当日は72名の参列をいただきました。
法要の告知を兼ねて、東京新聞さんが6月6日付朝刊で記事にしてくださいました。
法要の趣旨が少しでも多くの方々に伝わればと私も取材を受けました。
東京新聞朝刊20170606(PDF)

会うは別れの始め

ずいぶん時間が経ってしまいましたが、寺報『信友』205号を檀信徒の皆さまに郵送いたしました。巻頭文「会うは別れの始め」を転載いたします。
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三月のお彼岸の法話でもお話しましたが、昨年十月に入籍をした時のことです。(※)
多くの人はバラ色の人生を思い描いて、幸せの絶頂になるのでしょう。しかし、私がまず思ったことは、「いずれ、どちらかが喪主をつとめるんだなぁ」というもの。決して暗い気持になったわけではありません。責任の重さというのか、一人の人生を預かり、自分の人生を預けるということを実感したのです。
もう一つ思ったことは、「妻の親族に不幸があれば、私も遺族になるんだなぁ」です。家族が増えるということは、遺族になる可能性もその分増すわけです。当たり前といえば当たり前なのですが、自分でも「なんでこのタイミングで?」と不思議な気持ちでした。
一般の友人に今挙げた二つのことを話すと、「なんでそんなこと思うの?」と不思議がられます。我ながら、変わっていると思いました。きっと職業病というものなのでしょう。常に「死」というものを考えてしまうのです。人生、思い通りにはいかない、良いことばかり続くわけがないと、どこかで冷めて見ているのが習性。
ところが、知人の牧師は、「それは良いことですよ」と言ってくれました。なぜなら、「結婚とは入籍や挙式の時をいうのではありません。それは始まりに過ぎないのです。死別にしろ、離婚にしろ、その時に結婚は完成するのです。だから、喪主の想像をすることは、間違いではありません」と。結婚については一日の長があるキリスト教だけあり、なんだかとても説得力のある言葉です。親族との付き合いだって、死別によって完成するとも考えられますね。
愛別離苦とは、私たちが生きているうえで避けられない苦しみの一つ。字の通り、愛する人と必ず別離をしないといけない苦しみ。お釈迦さまが二六〇〇年前に言った言葉です。
結婚に限らず、私たちはどこかで誰かと出会い、友達として、仲間としてお付き合いをしていきます。家族・親族もしかりです。そして、信友のみなさんもしかりです。蓮宝寺をご縁として、住職と檀家さんとしてお付き合いをさせていただく。でも、そのお付き合いには、必ず「別れ」が潜んでいます。別れによってお付き合いが完成するのだとすれば、しっかり完成させたいものです。どんな完成がやってくるか分かりませんが、信友の方が亡くなれば、私はしっかりとお見送りをさせていただきたい、私が亡くなれば、見送りに来ていただきたいと思います。その時、「いい住職だったね」と言ってもらえるような人間になっているのだろうか。わが身を振り返り、気を引き締めます。
あ、妻にも「いい旦那だった」と思ってもらえるようにしなければ……。
(※)住職、昨年10月に結婚いたしました。

自死者追悼法要「倶会一処~ともに生き、ともに祈る」のご案内

毎年6月10日に増上寺を会場に自死者追悼法要が開催されます。(主催:浄土宗東京教区教宣師会)
ご家族や親しい方を自死で亡くされた方だけに参列を限定させていただいています。
ご参列をご希望の方は以下のサイトに詳細が出ておりますので、ご参照ください。
当日参加がかなわない方も法要中のご回向の申込も受け付けております。
http://d.hatena.ne.jp/tomoniinoru/

お葉書

ある方より励ましのお葉書をいただきました。
過日アップしました東京教区の法話のページをご覧になられ、この蓮宝寺のホームページもお読みいただいたようです。
菩提寺との関係に悩まれているようですが、詳細は書かれておりません。
しかし、お寺や仏教を大事に思われているからこその深い悩みなのだろうことが、文面から伝わってまいりました。
いずれにせよ、「ホームページ見たよ!」といった反響がほとんどないため、大変、励みとなりました。ありがとうございます。
差出人のお名前がありませんでしたので、こちらに記させていただきました。

孤独のグルメについて書きました

浄土宗東京教区・教化団のホームページの人気コーナー(?)、「今月の法話」3月号に住職が登場しています。
人気番組「孤独のグルメ」をヒントに、「一人飯で仏教レッスン」という短文を書きました。
浄土宗の勉強をしっかりしてこなかった私にはハードルの高い依頼でしたが、無理をしてもしかたがないので、気楽に書かせていただきました。
こちらをクリックしていただければ、読むことができます。

1月のライフエンディング研究会

1月のライフエンディング研究会を中外日報さんが取り上げてくれました。
この日は、小金井祭典の是枝嗣人社長に、子どもの葬儀のお話をしていただきました。
やはりお子さんの葬儀は悲しみも深く、そうしたなかで、いかに親御さんやご家族に納得のいく見送りをしていただくか、葬儀社さんの工夫や努力がうかがわれるお話でした。

中外日報20170203・10面(LE研)

震災七回忌にあたり

寺報『信友』204号を檀信徒の皆さまに郵送いたしました。巻頭文「震災七回忌にあたり」を転載いたします。なお、『信友』に記しましたが、春の彼岸法要は3月18日におつとめいたします。
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この三月で東日本大震災から七回忌となります。六年が経った今でも、あの日あの頃の記憶が鮮明によみがえる方は多いのではないでしょうか。私もその一人です。
震災から二週間ほど経って、私は岩手県の大槌町に入りました。知人のNPO関係者や僧侶に声をかけられ、お弔いのボランティアに参加したのです。誰にも弔われずに、土葬されるご遺体を少しでも慰めるため、という趣旨でした。
遺体安置所となっているいくつかの体育館をまわり、無数のご遺体を前に僧侶五人で般若心経を唱えました。(曹洞宗の多い地域だから、般若心経に馴染みがあるという話でした)
おそらく、私が死ぬまで、そこで見たこと、嗅いだ匂い、感じた思いは忘れられないことでしょう。
整然と体育館の床に並べられた遺体の多くは、シートや専用の袋にくるまれています。大槌町では津波の後に大火災が発生。そのため、焼け焦げた腕がシートからはみ出してしまっている遺体も見えます。棺に納められた遺体は身元が分かったということなのでしょう。ペットボトルの飲み物やお菓子が供えられています。
特に、思い出される光景があります。安置所の受付には、各遺体の特徴が記されたファイルが置いてありました。もしかすると写真も貼ってあるのかもしれません。家族を探す人は、そのファイルをもとに、該当する遺体がないかを調べるのです。この安置所になければ、他の安置所をまわるのでしょう。私たちがいる、たかだが十分か二十分の間にも、かわるがわるファイルを見に来ては、肩を落として帰っていかれました。
どんな気持ちでファイルをご覧になったのか、今でもわが身におきかえて、想像することがあります。二週間が経っていますから、生存の望みは持てないはずです。とはいえ、ファイルに愛する家族が載っていれば、悲しくないはずはありません。どこかで生きているかもしれないというかすかな希望は消え失せ、死んでしまったという事実を突きつけられることになるのですから。
一方で、一刻でも早く、しっかり棺に入れて、供養してあげたい。姿・形は変わっても、自分たちの元に帰ってきて欲しい。冷たい、苦しい思いをして亡くなったあの人を、あの子を、早く楽にしてあげたい。そんな悲しく、せつない思いが交差していたのではないかと想像します。
亡くなられた方々は、間違いなく阿弥陀さまが救ってくださる、と私は信じています。しかし、あのご家族たちは、その後、どうされたのか、心は安らかになられたか、気がかりでなりません。亡き人を心穏やかに偲べるようになるまでの時間は人それぞれ。衣食住が整い、支えてくれる家族や友達があってこそ、時の流れが心に癒しをもたらしてくれるといいます。
六年の歳月が少しでもご家族の心の安穏につながっていることを心から願います。