寺報『信友』236号の巻頭「塵を払い、垢を除かん」を転載いたします。
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11月とはいえ、20度を超える日もあり、先日は多磨霊園での読経中に蚊に刺されてしまいました。一方で、多磨霊園の木々の落ち葉が毎日のように駐車場に降り積もります。本当に秋がなくなり、夏と冬が隣り合っているようで、温暖化を実感させられます。
延々と舞い落ちる枯葉を見ていると、お釈迦さまの一人のお弟子さんが思い浮かびます。それは、周利槃特(しゅりはんどく)というお弟子さん。
周利槃特は兄の摩訶槃特(まかはんどく)に勧められてお釈迦さまに弟子入りしました。兄ははとても頭がよく、お釈迦さまの教えをすぐに理解できたのですが、周利槃特は物覚えが悪く、時々自分の名前を忘れてしまうほど。お釈迦さまの教えを覚えることなど到底できません。
修行仲間にからかわれ、兄にも厳しく咤され、泣いているところにお釈迦さまが現れ「なぜそんなになげいているのか?」と問いかけました。
周利槃特は「自分は愚かで何も覚えられない。もう修行をやめたい。どうしてこんなに愚かに生まれてしまったのか」と吐露します。
お釈迦さまは「悲しむことはない。自分の愚かさを知っている者は愚かではない。自分が賢いと思っている者が愚かなのだ」と励まし、一本の箒(ほうき)と「塵(ちり)を払い、垢(あか)を除かん」という一句を周利槃特に与えました。
それ以来、周利槃特は来る日も来る日も「塵を払い、垢を除かん」と唱えながら、箒で掃除をし続けました。最初はバカにしていた修行仲間たちも、次第に尊敬の念を抱くように。お釈迦さまも「上達することも大事だが、努力を続けることはもっと大事だ」と周利槃特の姿勢をほめられたそうです。
掃除をし続けること20年、周利槃特はついに悟りました。掃除をしても、すぐに汚れやほこりが生じます。だからこそ掃除し続けることが大事。これは人間の心も同じこと。次から次へと沸き起こる執着や欲望は、いわば心の塵や垢。常に自分の心を見つめて、掃き清める努力が必要なのですね。
さて、我が身を振り返ると、一本の箒ではなく、電動ブロワーを使うというていたらく……。悟りには程遠いようです。
みなさまも年末の大掃除には、「塵を払い、垢を除かん」とお唱えしてみてはいかがでしょうか。
ちなみに、「天才バカボン」のレレレのおじさん、周利槃特がモデルだそうです。
【追記】謎の赤い実
駐車場の落ち葉を掃いていたら、落ち葉の下から何やら大量の赤い木の実が出てきました。形状からするとハナミズキの実のようです。
風に飛ばされて自然とこんなに集まるはずもありません。動物好きの姉の推測では、ネズミのしわざではないかということです。貯食行動といって、食料を集めて隠しておくのだとか。
ここは全然掃除していないから、隠すのにちょうど良いと思われたのでしょうか……。