葬儀屋さんは見ている

立て続けに投稿です。(さぼっていてすみません。)
今年の2月に発行した寺報の巻頭「葬儀屋さんは見ている」を転載いたします。
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巣鴨に駿台トラベル&ホテル専門学校という専門学校があります。ホテル学科、ブライダル学科、エアライン学科、鉄道学科など学校名から想像しやすい学科が並ぶなか、葬祭マネジメント学科なる毛色の違う学科が存在します。葬儀業界に就職を目指す子たちが通うこのコースで、私はこの10年ほど、「仏教の基礎知識」を年2回、教えにいっています。

世の中は狭いもので、教え子の中に、私の妻の親友がいたのです。妻も葬儀の司会をしていましたから、何度も同じ現場で仕事をする内に仲良くなったとのこと。そこで昨年、一緒に食事をしました。

葬儀屋さんというのは、当たり前ですが、たくさんの僧侶を見ています。ピンからキリまでいろいろな僧侶と出会い、助けられたり、困らせられたり。まあ、困らせられることの方が圧倒的に多いそうで、僧侶を見る目が、とてもシビア。そこで、後学のため、いろいろ教えてもらいました。

今はお寺との付き合いが全くない方々が増え、いざお葬式になった時に、僧侶を葬儀社に紹介してもらうのが、半分くらいあるとのこと。葬儀社にとっては、菩提寺の住職が来るお葬式よりも、断然、葬儀社が紹介した僧侶が勤めるお葬式がやりやすいそうです。

どんなところがやりやすいかというと、葬儀社が困ることは一切しないからとの答え。葬儀時間をしっかり守ってくれるし、法話や戒名の説明をちゃんとやってくれて、本当にやりやすいと言います。

葬儀に遅刻をする、お経が下手だったり、戒名がひどい字で書かれていたり、人の目をまともに見ずに、何も話さない僧侶も少なくないとか。そして、そういう僧侶のほとんどが菩提寺の住職と聞いて、驚き、唖然としてしまいました。菩提寺の住職こそ、檀家さんに寄り添ったお葬式を勤め、お話をするものだと思っていました。悲しみのただ中にいらっしゃる檀家さんに、余計な心労をかけず、できるだけ、心を落ち着けて、亡き人とお別れをしてほしいと心がけているつもりの私は、「自分もそうなっているのかな?」と冷や汗。

「菩提寺の住職ってそんなにやりにくいんだ?」と聞くと、「そうですね」と彼女も苦笑い。

お清めの席で住職の周りに誰も座らず、親族同士が「お前、行けよ」、「あなたが座りなさいよ」と押し付け合っているなか、一人さびしくお寿司をつまむ住職を見ていると、「本当にかわいそうで、せつなくなった」とは私の妻。私もそんなほろ苦い経験がないわけではなく、動揺を隠すのに必死です。

では、「菩提寺の住職で良かったことは?」と一縷の望みをかけて聞いてみると、

「住職と喪主さんが親しそうに会話をしていると、この葬儀はうまく行くって思いますね。」

やはり、日ごろからのお付き合いが何より大事なんだなと痛感する言葉です。

さて、今の私は大丈夫でしょうか?

一人でお寿司をつままない住職になれるよう、もっと精進せねばと気を引き締めた教え子との再会でした。