時の過ぎゆくままに

寺報『信友』206号を檀信徒の皆さまに郵送いたしました。巻頭文「時の過ぎゆくままに」を転載いたします。
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つい先日のこと、沢田研二の50周年記念ライブに行ってまいりました。実は母がジュリーファンでして、通常、姉と二人で行っているのですが、今回は私も運転手を兼ねて同行いたしました。

父の存命中は、スーパーへの買い物以外、滅多に外出ができなかった母。父は留守番が嫌い、というよりは、母がいないと不安でしょうがない人でした。それでも、普段、自分に尽くしてくれている母に少しは申し訳ないと思っていたのでしょうか、ジュリーのライブだけは、渋々許していました。毎回、「あんなおかま野郎のどこが良いんだか」と負け惜しみ(?)を言いながら、送り出すのが常でした。

ジュリーといえば、化粧をした男性タレントの先駆けですから、昭和ひと桁生まれの父からすると「おかま野郎」だったのでしょう。私が小さい頃はまだジュリーの全盛期。私の記憶のジュリーも中性的な妖しさ・美しさが際立っていました。

さて、開演が迫ってまいります。会場は満席、ほとんどが50代以上の女性、60~70歳が最も多い年齢層のようです。ジュリーが69歳ですから、ともに人生を歩んできた同志のような感覚もあるのかもしれません。明かりが落とされ、いよいよジュリーの登場です。

スポットライトが照らされ、キラキラしたグリーンのラメ入りスーツをまとったジュリーが現れます。そこにいるジュリーは、白髪の坊主頭に白いあごひげ、顔も体形もふっくら、いや、ぶくぶくに近いもの。もはや「おかま野郎」の妖艶さのかけらもない、一人のおじさんが立っていました。しかし、ひとたび歌いだせば、往時をしのばせるどころか、全盛期よりも深みと迫力のある歌声で会場を熱狂させるのです。あちらこちらから「ジュリーッ!」と年季の入った黄色い声。78歳の母もノリノリです。

あれだけ美のシンボルとされてもてはやされたジュリーが、今、これだけ外見に無頓着でいるということは、ただの怠け者ということではないはずです。歌声を聞けば、努力を怠っていないことは明らか。外見だって努力次第でなんとかなるでしょう。若さや美を保つために、整形手術をしたり、美容に高額なお金をかけたりするのが当たり前な芸能界にいながら、それに迎合しない。テレビには積極的に出演しないけれども、毎年、ライブツアーは欠かさず、歌声を全国に届ける。歌手として必要なことだけを追い求めるジュリーには深い哲学を感じました。

余計なものは捨て、本当に必要なものだけに力を注ぐ、流行りの言葉でいえば「断捨離」でしょうか。そして、「時の過ぎゆくままに、この身をまかせ」と歌を地で行くその姿に、諸行無常のことわりを思ったのでした。

~後日談~

ジュリーのライブの2日後の朝、私が台所に行くと、母があおむけで倒れています。聞くと、目が回って起き上がれないとのこと。慌てて♯7119(救急相談センター)にかけて、事情を説明すると、すぐに救急搬送が必要と言われ、救急車にて病院に搬送されました。CTも心電図も異常はなく、担当医は耳が原因でしょうとの診断。

翌日、退院し、その足で耳鼻科にて診察と相成ります。すると、先生は「最近、寝不足とか、興奮したことありました?」と質問。ジュリーのライブに行ったと答えると、「それだよ、それ!」と大笑いです。高齢者が興奮したり、寝不足になったりすると、自律神経が乱れて、耳のリンパ液のバランスが悪くなり、めまいが起こることがあるそうで、まさに年寄りの冷や水というもの。もちろん、父の介護・葬儀、私の挙式などでの疲労の蓄積があっての今回のめまいではありますが、ファンを病院送りにしてしまう、ジュリーの未だ衰えぬスター性に脱帽です。

ただ、ライブに行ってはダメということではなく、ライブの夜はゆっくり湯舟につかり、よく寝れば良いようです。信友の皆さまも、体力と相談しながら、人生をエンジョイされますように。